東郷陣屋跡
二宮金次郎が一時期居住していた陣屋の跡地。

東郷陣屋跡
東郷陣屋跡 真岡市東郷字雷
東郷陣屋は寛政十一年・(一七九九)建造で、翌年、最初の支配、岸本武太夫就美が家族で移住し、小児養育[1]・荒地起返・入百姓差入等の改革を実施した。敷地は四反七畝二〇歩である。
嘉永元年(一八四八)、東郷支配山内総左衛門が、兼任で真岡支配となり真岡陣屋に移った時(嘉永三年に代官昇格)、代わりに東郷陣屋に入ったのが二宮金次郎である。金次郎は山内氏に信頼され、熊倉分(現在の台町・田町・荒町等の一部)の荒地起返、穴川用水や長瀬堰・谷中堰の改修等の用水整備、台町の道路改修や、真岡陣屋の再建等の普請などに力を尽くした。
慶応四年(一八六八)、官軍の焼き討ちによって焼失、廃陣となった。
寛政十一年(一七九九)
岸本武太夫
平成十七年十一月 真岡市教育委員会
東郷陣屋は寛政十一年・(一七九九)建造で、翌年、最初の支配、岸本武太夫就美が家族で移住し、小児養育[1]・荒地起返・入百姓差入等の改革を実施した。敷地は四反七畝二〇歩である。
嘉永元年(一八四八)、東郷支配山内総左衛門が、兼任で真岡支配となり真岡陣屋に移った時(嘉永三年に代官昇格)、代わりに東郷陣屋に入ったのが二宮金次郎である。金次郎は山内氏に信頼され、熊倉分(現在の台町・田町・荒町等の一部)の荒地起返、穴川用水や長瀬堰・谷中堰の改修等の用水整備、台町の道路改修や、真岡陣屋の再建等の普請などに力を尽くした。
慶応四年(一八六八)、官軍の焼き討ちによって焼失、廃陣となった。
寛政十一年(一七九九)
岸本武太夫
平成十七年十一月 真岡市教育委員会
[1]
オリジナルの文章では「しゅうによういく」と振り仮名が振られているが、本サイトでは「しょうによういく」に改めた。
周辺
東郷陣屋跡の碑

東郷陣屋跡の碑
二宮先生遺蹟 東郷陣屋阯
先生嘉永九年ヨリ安政二年ニ至ルマデ在住セラレタル処ナリ
昭和十三年十一月建設
栃木県尊徳会
下野桜町遺蹟保存会
先生嘉永九年ヨリ安政二年ニ至ルマデ在住セラレタル処ナリ
昭和十三年十一月建設
栃木県尊徳会
下野桜町遺蹟保存会