開墾地記念碑
開拓地の記念碑。

開墾地
周辺
記念碑

開墾地記念碑
二宮先生開墾地
二宮尊徳先生八十年祭記念
昭和十年十月 今市町農会建之
二宮尊徳先生八十年祭記念
昭和十年十月 今市町農会建之
解説

解説
二宮先生開墾地記念碑
(今市・瀬川入会地の大開発地)
期間 安政六年(一八五九年)
九月八日~十一月十二日
入用金 一六一両余 所要人足 四二四二人
開発面積 五町五反四畝一五歩(約五五へクタール)
二宮尊徳の指導の下に行われた日光神領の報徳仕法(農村復興仕法)では、荒地起返し(荒地化した元耕地の再開発)を中心に、併せて地味の良い有望な未開地の新規開墾も積極的に進められ、合せて二五町四反八四歩が新たに耕地となった。
今市・瀬川入会地の開発は、報徳仕法最大の開発地で、南側に隣接する今市大谷向の大開発地(安政六年十月二日~翌年五月十三日、五町四反四畝二七歩)とともに一〇
町歩余(ほぼバイパスの両側)が神領随一の美田に生まれ変わったのである。
この記念陣は、昭和十年(一九三五年)に今市農会が建立した。
平成九年十二月
今市市教育委員会
(今市・瀬川入会地の大開発地)
期間 安政六年(一八五九年)
九月八日~十一月十二日
入用金 一六一両余 所要人足 四二四二人
開発面積 五町五反四畝一五歩(約五五へクタール)
二宮尊徳の指導の下に行われた日光神領の報徳仕法(農村復興仕法)では、荒地起返し(荒地化した元耕地の再開発)を中心に、併せて地味の良い有望な未開地の新規開墾も積極的に進められ、合せて二五町四反八四歩が新たに耕地となった。
今市・瀬川入会地の開発は、報徳仕法最大の開発地で、南側に隣接する今市大谷向の大開発地(安政六年十月二日~翌年五月十三日、五町四反四畝二七歩)とともに一〇
町歩余(ほぼバイパスの両側)が神領随一の美田に生まれ変わったのである。
この記念陣は、昭和十年(一九三五年)に今市農会が建立した。
平成九年十二月
今市市教育委員会