慶林寺
山を掘って藤曲用水を貫通させた耕雲和尚の寺院。

慶林寺
周辺
解説

解説
藤曲山慶林寺(観音堂)中島勝福寺末寺
所在地 駿東郡小山町藤曲字中村三二九ノ一番地
○本尊 観世音菩薩像
○年中行事
毎年四月一八日大祭
○沿革
一、当寺開山
元和元年(一六一五年) 中島勝福寺五世柏翁法意和尚禅師
屋敷三〇間、一五間(一反五散歩) 一六四六年の検地帳による
一、天保七年より 弘化三年(一八四六年) 耕雲和尚十年の歳月をかけ、大久保より藤曲にトンネルを掘り(三百米)藤曲用水路を貫通させ藤曲二十町歩の水田が恩恵を受ける
一、明治三年十二月十九日 慶林寺焼失
一、昭和十四年 藤曲字中村三二五番地に観音堂を建立、同時に微発馬匹供養塔建立及び馬頭観音を祀る
一、昭和四十六年 屋根のふき替え(宮下板金施工)
一、平成十五年五月 県道小山、山中湖線緊急道路用地にかかり隣接の富川トミコ様の土地藤曲字中村三二九ノ一番地へ移築併せて微発馬匹供養塔と馬頭観音を移設(松井建設施工)
一、平成十五年五月三十一日 落成式挙行(落慶法要)
所在地 駿東郡小山町藤曲字中村三二九ノ一番地
○本尊 観世音菩薩像
○年中行事
毎年四月一八日大祭
○沿革
一、当寺開山
元和元年(一六一五年) 中島勝福寺五世柏翁法意和尚禅師
屋敷三〇間、一五間(一反五散歩) 一六四六年の検地帳による
一、天保七年より 弘化三年(一八四六年) 耕雲和尚十年の歳月をかけ、大久保より藤曲にトンネルを掘り(三百米)藤曲用水路を貫通させ藤曲二十町歩の水田が恩恵を受ける
一、明治三年十二月十九日 慶林寺焼失
一、昭和十四年 藤曲字中村三二五番地に観音堂を建立、同時に微発馬匹供養塔建立及び馬頭観音を祀る
一、昭和四十六年 屋根のふき替え(宮下板金施工)
一、平成十五年五月 県道小山、山中湖線緊急道路用地にかかり隣接の富川トミコ様の土地藤曲字中村三二九ノ一番地へ移築併せて微発馬匹供養塔と馬頭観音を移設(松井建設施工)
一、平成十五年五月三十一日 落成式挙行(落慶法要)
日支事変徴発馬匹供養碑(裏面は耕雲和尚の頌徳碑)

供養碑裏面(耕雲和尚の頌徳碑)
観音堂
日支事変 徴発馬匹供養塔
昭和十四年四月建之
耕雲叟寿和尚頌徳碑
廃墟慶林寺ハ距今三百二十四年前創設ニ懸リ持蓮観世音ヲ本尊トセリ本寺中興ノ師耕雲和尚ハ相州田中村ヨリ来リ天保弘化ヲ経テ嘉永六年正月二十六日示寂ノ旧記アリ師ハ天保ノ饑饉檀家疲憊ノ極ニ達シ二宮先生ノ仕法ヲ請フニ至リシ衷情ヲ知悉シ当時藤曲用水本村入口ニ志房山脈アリ為ニ疏水ヲ妨ケアルヲ遺憾トスルモ檀家ノ窮状ヲ察知シ貲ヲ他力ニ求メス断然蹶起シ昼ハ托鉢ヲ以テ巡錫シ夜ハ自ラ硬岩掘鑿ニ従事シ延長百五十余間遂ニ貫通セシメ爾来現在ノ如ク田園ノ灌漑ニ将タ各戸ノ飲料水ヲ供給スルニ至リシハ本村ニ対スル特記スヘキ偉功ト謂フヘシ即チ茲ニ観音堂建立並ニ徴発馬匹供養塔建設ノ好機ニ際シ師ノ徳ヲ永世不朽ニ伝フモノナリ
昭和十四年四月 小山町長 高橋文治撰文 小山町書記丁田正信敬書
(※下部は人名が並ぶ)
日支事変 徴発馬匹供養塔
昭和十四年四月建之
耕雲叟寿和尚頌徳碑
廃墟慶林寺ハ距今三百二十四年前創設ニ懸リ持蓮観世音ヲ本尊トセリ本寺中興ノ師耕雲和尚ハ相州田中村ヨリ来リ天保弘化ヲ経テ嘉永六年正月二十六日示寂ノ旧記アリ師ハ天保ノ饑饉檀家疲憊ノ極ニ達シ二宮先生ノ仕法ヲ請フニ至リシ衷情ヲ知悉シ当時藤曲用水本村入口ニ志房山脈アリ為ニ疏水ヲ妨ケアルヲ遺憾トスルモ檀家ノ窮状ヲ察知シ貲ヲ他力ニ求メス断然蹶起シ昼ハ托鉢ヲ以テ巡錫シ夜ハ自ラ硬岩掘鑿ニ従事シ延長百五十余間遂ニ貫通セシメ爾来現在ノ如ク田園ノ灌漑ニ将タ各戸ノ飲料水ヲ供給スルニ至リシハ本村ニ対スル特記スヘキ偉功ト謂フヘシ即チ茲ニ観音堂建立並ニ徴発馬匹供養塔建設ノ好機ニ際シ師ノ徳ヲ永世不朽ニ伝フモノナリ
昭和十四年四月 小山町長 高橋文治撰文 小山町書記丁田正信敬書
(※下部は人名が並ぶ)