松苗植栽地跡
少年期の二宮金次郎が、酒匂川の土手の決壊防止のために松の苗を植えたとされる場所。
『報徳記』には当該故事の記述はない。
明治42年の大畑裕著『成功の二宮尊徳翁』には「御主人より戴いた二百文の銭で其の松の苗木を買ひ、年々蒙れる水害を防ぐ為めに之を堤防に植ゑるがよからうと思ひ、酒匂川の川端に植ゑて来た」という話がある。
『報徳記』には当該故事の記述はない。
明治42年の大畑裕著『成功の二宮尊徳翁』には「御主人より戴いた二百文の銭で其の松の苗木を買ひ、年々蒙れる水害を防ぐ為めに之を堤防に植ゑるがよからうと思ひ、酒匂川の川端に植ゑて来た」という話がある。

酒匂川の松並木(報徳橋の南)

酒匂川の松並木(報徳橋の北)
周辺
松苗植栽地跡の碑

松苗植栽地跡の碑
二宮先生遺蹟
先生若年ノ頃松苗二百本ヲ植ヱラレシ所ナリト伝フル坂口堤ニシテ推譲ノ徳高キ先生ノ嫩芽ヲ見ルノ心地ス
昭和御大典当年 桜井村青年団栢山支部
先生若年ノ頃松苗二百本ヲ植ヱラレシ所ナリト伝フル坂口堤ニシテ推譲ノ徳高キ先生ノ嫩芽ヲ見ルノ心地ス
昭和御大典当年 桜井村青年団栢山支部
松苗植栽地跡の解説

松苗植栽地跡の解説
二宮先生遺跡案内図
二宮尊徳の生涯
二宮尊徳(金次郎)は、一七八七年(天命七年七月二十三日小田原市東栢山(当時の相模国足柄上郡東栢山村)の農家に生れました。尊徳は没落した一家を再興し、また栢山村の農村改革のため尽くしました。その後、豊富な農業知識、独特の政治力を備えた農政家として世に認められ栃木県桜町(当時の小田原藩領下野桜町領)の荒地を改良したのを初めとして諸藩諸村の農業改革復旧につとめました。一八四三年幕府にめされ利根川水路建設工事計画をたて、ついで日光神領八九ヶ村の復旧工事中、一八五六年安政三年七十才をもって偉大な生涯を終りました。なお、この堤防を坂口堤といい、少年金次郎が暇のある時この堤に来て読書をしたり、物思いにふけった所です。又、父にかわり土手の工事の労役に出たり堤防補強のために松苗を植えた所であります。
小田原市教育委員会
二宮尊徳の生涯
二宮尊徳(金次郎)は、一七八七年(天命七年七月二十三日小田原市東栢山(当時の相模国足柄上郡東栢山村)の農家に生れました。尊徳は没落した一家を再興し、また栢山村の農村改革のため尽くしました。その後、豊富な農業知識、独特の政治力を備えた農政家として世に認められ栃木県桜町(当時の小田原藩領下野桜町領)の荒地を改良したのを初めとして諸藩諸村の農業改革復旧につとめました。一八四三年幕府にめされ利根川水路建設工事計画をたて、ついで日光神領八九ヶ村の復旧工事中、一八五六年安政三年七十才をもって偉大な生涯を終りました。なお、この堤防を坂口堤といい、少年金次郎が暇のある時この堤に来て読書をしたり、物思いにふけった所です。又、父にかわり土手の工事の労役に出たり堤防補強のために松苗を植えた所であります。
小田原市教育委員会
酒匂川

酒匂川(報徳橋より)

報徳橋
付近には二級河川酒匂川が流れ、報徳橋が架かっている。