南右田神社
二宮金次郎の門人荒至重(荒専八)を祀る神社。
平成23年の東日本大震災の大津波によって流失したが、再建。
平成23年の東日本大震災の大津波によって流失したが、再建。

南右田神社
周辺
解説

解説
南右田神社
祭神 荒専八翁
例祭 七月十二日
荒専八(至重)は文政九年(一八二六年)、相馬中村藩士の子として中村城下(相馬市)に生まれました。
九歳で父が亡くなり、苦学の末、江戸に上って算術、測量、天文学などを修め、二宮尊徳の門下に入りました。
中村藩に戻ってからは尊徳の教え(二宮仕法)を実践し、安政四年(一八五七年)には北郷(鹿島区)代官を命じられ、水不足をなくすため、測量技術を駆使して、ため池や用水路を造ったり、直したりすることに力を尽くしました。特に真野川流域 現西町、から四キロメートルに及ぶ「南右田堀」を造り、水利の便の悪かったここ南右田に水を引き、慶応三年(一八六七年)に完成させました。
この水は八十五ヘクタールの地を潤し、収穫は倍になったといわれています。南右田の農家は代官の徳をたたえて「荒専八君」の碑を建立しました。明治になり、至重は標葉・楢葉の郡長、平町長を歴任して、明治四十二年(一九二一年)に神官森伊織は住民と相談して当社を建て、専八翁を祭神として祀りました。
平成二十三年(二〇一一)三月十一日の東日本大震災に伴う大津波は、南右田集落七〇戸全戸と共に南右田神社までことごとく流し去りましたが、部落住民の総意を得て四年後の平成二七年(二〇一五年)十二月に社殿再建となったものの残念ながらこの度の大震災のために南右田部落は平成二十九年(二〇一七年)三月を最後に解散となりました。
(平成二十八年一月 南柚木伊勢大御神 宮司 森 幸彦 記)
祭神 荒専八翁
例祭 七月十二日
荒専八(至重)は文政九年(一八二六年)、相馬中村藩士の子として中村城下(相馬市)に生まれました。
九歳で父が亡くなり、苦学の末、江戸に上って算術、測量、天文学などを修め、二宮尊徳の門下に入りました。
中村藩に戻ってからは尊徳の教え(二宮仕法)を実践し、安政四年(一八五七年)には北郷(鹿島区)代官を命じられ、水不足をなくすため、測量技術を駆使して、ため池や用水路を造ったり、直したりすることに力を尽くしました。特に真野川流域 現西町、から四キロメートルに及ぶ「南右田堀」を造り、水利の便の悪かったここ南右田に水を引き、慶応三年(一八六七年)に完成させました。
この水は八十五ヘクタールの地を潤し、収穫は倍になったといわれています。南右田の農家は代官の徳をたたえて「荒専八君」の碑を建立しました。明治になり、至重は標葉・楢葉の郡長、平町長を歴任して、明治四十二年(一九二一年)に神官森伊織は住民と相談して当社を建て、専八翁を祭神として祀りました。
平成二十三年(二〇一一)三月十一日の東日本大震災に伴う大津波は、南右田集落七〇戸全戸と共に南右田神社までことごとく流し去りましたが、部落住民の総意を得て四年後の平成二七年(二〇一五年)十二月に社殿再建となったものの残念ながらこの度の大震災のために南右田部落は平成二十九年(二〇一七年)三月を最後に解散となりました。
(平成二十八年一月 南柚木伊勢大御神 宮司 森 幸彦 記)
荒至重の碑1

荒至重の碑1
曰行方郡南右田村新用水発祖同君代官勤中
慶応二年六月十二日鹿島村江口堀開
荒専八君
手代小野田信之助肝入佐藤久左衛門倣建記之
南右田村中
慶応二年六月十二日鹿島村江口堀開
荒専八君
手代小野田信之助肝入佐藤久左衛門倣建記之
南右田村中
荒至重の碑2

荒至重の碑2
南右田神社
翁ハ中村城下ニ生ル文久年間藩庁ヨリ登場セラレテ北郷ノ代官トナリ精ヲ郷治ニ尽シ笙就中南右田ハ永年水利ニ乏シク村民大ニ苦シム慶応二年六月十二日鹿島西磧ニ堰ヲ設ケ壕ヲ穿チ百町余ノ田水トナス当地爾後一歳トシテ旱魃ノ憂ナク今日ニ至ル是皆翁ノ賜ナリ故ニ大正十年社ヲ築キ社殿ヲ営ミ其霊ヲ祭リシモ今般更ニ石ニ勒シ其徳ヲ永遠ニ伝ヘントス維時昭和二年九月廿六日ナリ
報徳荒専八翁
昭和二年九月二十六日建立
神職森伊織書
(※裏には人名が並ぶ)
翁ハ中村城下ニ生ル文久年間藩庁ヨリ登場セラレテ北郷ノ代官トナリ精ヲ郷治ニ尽シ笙就中南右田ハ永年水利ニ乏シク村民大ニ苦シム慶応二年六月十二日鹿島西磧ニ堰ヲ設ケ壕ヲ穿チ百町余ノ田水トナス当地爾後一歳トシテ旱魃ノ憂ナク今日ニ至ル是皆翁ノ賜ナリ故ニ大正十年社ヲ築キ社殿ヲ営ミ其霊ヲ祭リシモ今般更ニ石ニ勒シ其徳ヲ永遠ニ伝ヘントス維時昭和二年九月廿六日ナリ
報徳荒専八翁
昭和二年九月二十六日建立
神職森伊織書
(※裏には人名が並ぶ)
その他

碑
中央の碑は木幡利美彰徳碑であり、篆額は二宮金次郎の孫二宮尊親による。
参考資料
碑文の翻刻にあたっては、鹿島区猪狩氏からいただいた鹿島文化財愛好会発刊『かやはら』2016, vol. 29 (第22回全国報徳サミット報徳碑特集号)を参考にした。

『かやはら』表紙
該当ページは以下のとおり。
p. 61 荒専八君 |
p. 62 報徳荒専八翁 |
サイト掲載にあたっては、旧字体を新字体に改めるなど、若干の変更を加えた。