真岡陣屋跡
真岡陣屋の跡地。

真岡陣屋跡
真岡陣屋跡 真岡市台町字城内(城山公園内)
真岡陣屋は寛政九年(一七九七)竹垣三右衛門直温が小児養育・荒地起返並入百姓差入、村柄立直仕法を実施するために建てられたもので、敷地は三反七畝二〇歩、建坪は六七坪である。(費用は幕府)
山内総左衛門董正は、弘化五年(一八四八)に真岡・東郷両陣屋を統合する形で支配した。嘉永四年(一八五一)、、二月に陣屋(御用達場 - 役所部分)が焼失し、建坪五五年七五に縮小して同年中に原類助と二宮金次郎が中心になって再建した。
慶応四年(一八六八)五月に再び焼失、廃陣となった。
寛政九年(1797)竹垣三右衛門
嘉永四年(1851)山内総左衛門
平成十七年十月 真岡市教育委員会
石碑刻銘文
正面 二宮先生遺蹟 真岡陣屋阯
右面 先生幕府ニ登用セラレ御普請役格トシテ来陣セル処[1]ナリ
左側 昭和十三年十一月建設
栃木懸[2]尊徳会 下野桜町遺蹟保存会
真岡陣屋は寛政九年(一七九七)竹垣三右衛門直温が小児養育・荒地起返並入百姓差入、村柄立直仕法を実施するために建てられたもので、敷地は三反七畝二〇歩、建坪は六七坪である。(費用は幕府)
山内総左衛門董正は、弘化五年(一八四八)に真岡・東郷両陣屋を統合する形で支配した。嘉永四年(一八五一)、、二月に陣屋(御用達場 - 役所部分)が焼失し、建坪五五年七五に縮小して同年中に原類助と二宮金次郎が中心になって再建した。
慶応四年(一八六八)五月に再び焼失、廃陣となった。
寛政九年(1797)竹垣三右衛門
嘉永四年(1851)山内総左衛門
平成十七年十月 真岡市教育委員会
石碑刻銘文
正面 二宮先生遺蹟 真岡陣屋阯
右面 先生幕府ニ登用セラレ御普請役格トシテ来陣セル処[1]ナリ
左側 昭和十三年十一月建設
栃木懸[2]尊徳会 下野桜町遺蹟保存会
[1]
ここでは「処(處)」と翻刻されているが、碑文では「所」の字が使われている。
[2]
ここでは「懸」と翻刻されているが、碑文では「県(縣)」の字が使われている。
周辺
真岡陣屋跡の碑

真岡陣屋跡の碑
二宮先生遺蹟 真岡陣屋阯
先生幕府ニ登用セラレ御普請役格トシテ来陣セル所ナリ
昭和十三年十一月建設
栃木県尊徳会
下野桜町遺蹟保存会
先生幕府ニ登用セラレ御普請役格トシテ来陣セル所ナリ
昭和十三年十一月建設
栃木県尊徳会
下野桜町遺蹟保存会