二宮堀(墨壗)
二宮金次郎の教えに従い、村人が掘ったとされる堀(二宮堀)に架かっていた橋の部材。道祖神の石碑に並んで建っている。

二宮堀の記念碑
二宮堀記念の石
江戸時代今から二百七〇年前の正徳元年、酒匂川氾濫で田畑は荒れ、その後天明天保と飢饉が続き住民は飢餓に瀕した。この折二宮尊徳の教えにより、この附近の湿田を乾田にするための堀割が作られた。これが二宮堀であり新せぎと呼ばれている。これによりこの一帯は良田となった。またこの前の道は足柄道といわれ古くから足柄峠を越えて駿河と相模を結ぶ道路であつた。この石は当時から二宮堀にかかつていた橋の一部であつたが、昭和五十五年三月道路改修工事によつて道幅を二米から現在の五米に拡幅された折、取り除かれたものである。
足柄道、二宮堀を永く見守つてきてくれた道祖神と共に、石橋のおもかげをしのぶ貴重な石を永く後世に伝えるものである。
昭和五十五年三月吉日
墨壗道祖神氏子
江戸時代今から二百七〇年前の正徳元年、酒匂川氾濫で田畑は荒れ、その後天明天保と飢饉が続き住民は飢餓に瀕した。この折二宮尊徳の教えにより、この附近の湿田を乾田にするための堀割が作られた。これが二宮堀であり新せぎと呼ばれている。これによりこの一帯は良田となった。またこの前の道は足柄道といわれ古くから足柄峠を越えて駿河と相模を結ぶ道路であつた。この石は当時から二宮堀にかかつていた橋の一部であつたが、昭和五十五年三月道路改修工事によつて道幅を二米から現在の五米に拡幅された折、取り除かれたものである。
足柄道、二宮堀を永く見守つてきてくれた道祖神と共に、石橋のおもかげをしのぶ貴重な石を永く後世に伝えるものである。
昭和五十五年三月吉日
墨壗道祖神氏子
周辺
道祖神

道祖神
足柄道

足柄道

墨壗通りの札