二宮神社(桜町)
桜町二宮神社。桜町陣屋跡および二宮尊徳資料館の隣にある。

桜町二宮神社
周辺
解説

解説
桜町二宮神社
二宮尊徳没後50年の明治38年(1905年)に、二宮尊徳の遺徳を偲び、霊を祀って隣の桜町陣屋内に創建されました。
昭和11年(1936年)の二宮尊徳没後80年に現在の位置に移り、社殿も新たになりました。
毎年、二宮尊徳の命日である11月17日(旧暦の10月20日)に祭礼が執り行われます。
なお、当神社の南の蓮城院には、二宮尊徳のお墓があります。
環境省・栃木県
二宮尊徳没後50年の明治38年(1905年)に、二宮尊徳の遺徳を偲び、霊を祀って隣の桜町陣屋内に創建されました。
昭和11年(1936年)の二宮尊徳没後80年に現在の位置に移り、社殿も新たになりました。
毎年、二宮尊徳の命日である11月17日(旧暦の10月20日)に祭礼が執り行われます。
なお、当神社の南の蓮城院には、二宮尊徳のお墓があります。
環境省・栃木県
由来の碑

二宮神社敷地の由来
二宮神社敷地ノ由来
地番 物部村物井東峯高二千十三番地ノ二
地積 四反六畝十五歩
昭和十一年二宮神社々殿ヲ建立スル計画ヲ樹立スルニ当リ守成社之ニ賛同シ協議ノ結果該地ノ寄付ヲ申出デ永ク報徳精神ノ顕揚ヲ祈念スルモノナリ
昭和十四年十一月七日 守成社
上野常三郎
保坂園次
猪野平太郎
佐々木高倫
地番 物部村物井東峯高二千十三番地ノ二
地積 四反六畝十五歩
昭和十一年二宮神社々殿ヲ建立スル計画ヲ樹立スルニ当リ守成社之ニ賛同シ協議ノ結果該地ノ寄付ヲ申出デ永ク報徳精神ノ顕揚ヲ祈念スルモノナリ
昭和十四年十一月七日 守成社
上野常三郎
保坂園次
猪野平太郎
佐々木高倫
報徳不忘の碑

報徳不忘の碑
報徳不忘

報徳不忘の碑(報徳の教え)
報徳の教え
報徳とは諸々の恩に報ゆることなり
一、吾身の根元は父母の生育に在り
一、吾身の富貴は父母の積善に在り
一、子孫の繁栄は吾身の勤労に在り
一、身命の長養は衣食住の三に在り
年々歳々報徳を忘るべからず
平成十七年四月建立 二宮町高田 谷畑 盛 なみ
報徳とは諸々の恩に報ゆることなり
一、吾身の根元は父母の生育に在り
一、吾身の富貴は父母の積善に在り
一、子孫の繁栄は吾身の勤労に在り
一、身命の長養は衣食住の三に在り
年々歳々報徳を忘るべからず
平成十七年四月建立 二宮町高田 谷畑 盛 なみ
福寿草の碑

福寿草の歌
天地の和して一輪
福寿草咲くやこの花
幾世経るとも
尊徳翁道歌
(※裏面に34の人名)
真岡市
高岡修平拝書
平成四年七月吉日
一円融合会
福寿草咲くやこの花
幾世経るとも
尊徳翁道歌
(※裏面に34の人名)
真岡市
高岡修平拝書
平成四年七月吉日
一円融合会
道歌の碑

道歌の碑
二宮尊徳先生道歌
声もなく臭もなく
常に天地は書かざる
経をくり返しつつ
めしと汁もめん着ものは
身をたすく
その余は我を
責むるのみなり
天津日の恵みつみおく
無尽蔵
鍬でほり出せ
鎌でかりとれ
声もなく臭もなく
常に天地は書かざる
経をくり返しつつ
めしと汁もめん着ものは
身をたすく
その余は我を
責むるのみなり
天津日の恵みつみおく
無尽蔵
鍬でほり出せ
鎌でかりとれ