新勝寺(成田)
二宮金次郎が桜町仕法時代に参籠した寺院。

新勝寺
周辺
開眼の地の碑

開眼の地の碑
二宮尊徳翁開眼之地
心あらは成田の山にこもりなん
いしの上にも岩の上にも
二宮先生道歌 高平脩一敬書
報徳
全国報徳団体連絡協議会建之
昭和五十五年五月五日
会長 文学博士 加藤 仁平 敬書
心あらは成田の山にこもりなん
いしの上にも岩の上にも
二宮先生道歌 高平脩一敬書
報徳
全国報徳団体連絡協議会建之
昭和五十五年五月五日
会長 文学博士 加藤 仁平 敬書
解説

解説
二宮尊徳翁開眼の地
代表的日本人の一人、二宮尊徳翁 天明七年 〜 安政三年(一七八七 - 一八五六)は、不世出の才と堅忍不抜の行いとをもって小田原藩主大久保忠真に抜擢され野州桜町([1]栃木県二宮町)の復興に、一身をささげた。内外の妨害に進退きわまり行方不明数十日の後、「禍を転じて福となし」にはじまる七大誓願を胸に成田山に参籠、断食水行二十一日、霊験感応あり、心願開けて大悟した、ここぞ誠に二宮哲学開眼の地である
身をすててここをせんどとつとむれば
月日の数も知らぬなりけり
心あらば成田の山にこもりなん
石の上にも岩の上にも
この二首は満願の日の翁の歌であり、「予が今日に至るは不動心の堅固一つにあり」とは後世にくり返し口にしたところである。
代表的日本人の一人、二宮尊徳翁 天明七年 〜 安政三年(一七八七 - 一八五六)は、不世出の才と堅忍不抜の行いとをもって小田原藩主大久保忠真に抜擢され野州桜町([1]栃木県二宮町)の復興に、一身をささげた。内外の妨害に進退きわまり行方不明数十日の後、「禍を転じて福となし」にはじまる七大誓願を胸に成田山に参籠、断食水行二十一日、霊験感応あり、心願開けて大悟した、ここぞ誠に二宮哲学開眼の地である
身をすててここをせんどとつとむれば
月日の数も知らぬなりけり
心あらば成田の山にこもりなん
石の上にも岩の上にも
この二首は満願の日の翁の歌であり、「予が今日に至るは不動心の堅固一つにあり」とは後世にくり返し口にしたところである。
[1]
オリジナルの文章では「)」となっているが、本サイトでは「(」に改めた。
水行場

水行場
水行場
天保六年(一八三五)建立
昭和四十一年改築、本尊に祈誓をこめて水行をするところであり、古くは道誉上人、二宮尊徳翁なども、ここの水に浴し貴い霊験を授かっている。
Suigyo-jo Hall
Constructed in 1835, and rebuilt in 1966, the Suisyo-do Hall is a training hall for devotees part of the discipline consists in bathing themselves for purification with cold water
天保六年(一八三五)建立
昭和四十一年改築、本尊に祈誓をこめて水行をするところであり、古くは道誉上人、二宮尊徳翁なども、ここの水に浴し貴い霊験を授かっている。
Suigyo-jo Hall
Constructed in 1835, and rebuilt in 1966, the Suisyo-do Hall is a training hall for devotees part of the discipline consists in bathing themselves for purification with cold water