二宮総本家屋敷跡
二宮総本家の屋敷があったとされる場所。現在はアパートが建っている。

二宮総本家屋敷跡の碑
二宮先生遺蹟
総本家屋敷跡
先生十九歳ノ時総本家ノ再興ヲ企図セラレ久シク荒廃ニ委セラレタル屋敷跡ニ垣ヲ囲ラシテ竹林ヲ作リ以テ素志達成ノ緒トセラル 是レ後年先生興国安民ノ大事業ノ善種トナリ且ツ嘉永六年総本家再興ノ初志完ク成レル想出ノ地タリ
総本家屋敷跡
先生十九歳ノ時総本家ノ再興ヲ企図セラレ久シク荒廃ニ委セラレタル屋敷跡ニ垣ヲ囲ラシテ竹林ヲ作リ以テ素志達成ノ緒トセラル 是レ後年先生興国安民ノ大事業ノ善種トナリ且ツ嘉永六年総本家再興ノ初志完ク成レル想出ノ地タリ

土台の金属プレート
二宮総本家屋敷跡
二宮総本家は永正年間(北条早雲の頃)、初代二宮伊右衛門がこの地に定住して以来の名家で、万治元年(一六五八年)には田地六町四反一七歩(六・四ヘクタール)を持つほどであったが、次第に家運が傾きはじめ、寛政一二年(一八〇〇年)に当主儀兵衛がなくなると総本家は絶えてしまった。
一九歳のときに総本家再興を志した尊徳はまず総本家の敷地内で竹を育てこれを売ってその再興資金とした。後年、この資金をもとに田地等を次々と買い入れていき、嘉永年間(一八四八年 - 一八五三年)にはその復興を完成した。この間、約五〇年といわれている。
小田原市教育委員会
二宮総本家は永正年間(北条早雲の頃)、初代二宮伊右衛門がこの地に定住して以来の名家で、万治元年(一六五八年)には田地六町四反一七歩(六・四ヘクタール)を持つほどであったが、次第に家運が傾きはじめ、寛政一二年(一八〇〇年)に当主儀兵衛がなくなると総本家は絶えてしまった。
一九歳のときに総本家再興を志した尊徳はまず総本家の敷地内で竹を育てこれを売ってその再興資金とした。後年、この資金をもとに田地等を次々と買い入れていき、嘉永年間(一八四八年 - 一八五三年)にはその復興を完成した。この間、約五〇年といわれている。
小田原市教育委員会
周辺
二宮金次郎像

二宮金次郎像
二宮先生総本家屋敷跡