横田大堰記念碑
横田大堰の記念碑。

横田大堰記念碑
横田大堰改築記念碑
栃木県知事 横川信夫書
横田大堰は今から百三十年前の文政十年五月二宮先生が旧横田村耕地五十六町歩合の灌漑を目的として築造されたものと云われている当時の堰は杭木八百三十五本と天田の石塊とを用いて造られた極めて簡単なものであつた年久しく過ぎて昭和五年永久堰としてコンクリート堰に改築したが出水毎に修理をしなければならなかつた特に昭和三十三年の十一号台風に伴う[1]出水により大破壊となり其惨状見る影もなく勿論灌漑は不可能となつたそこで御厚意に依り昭和三十四年度災害復旧工事に認められ補助金が決定された早速受益者の集会を開いて改築することに一決したのである工事に際しては時恰も五行川が改修途上にあり災害関連工事として施行された為栃木県小貝五行川改修事務所の御尽力御協力は計り知れない程であつた永年悩み続けそして又当部落の生命線でもあつた大堰の問題は漸く解決し茲に最も近代的設計に依り近郷稀に見る可動式大堰は完成するに至つた
昭和三十五年三月竣工
(※下半分は人名が並ぶ)
栃木県知事 横川信夫書
横田大堰は今から百三十年前の文政十年五月二宮先生が旧横田村耕地五十六町歩合の灌漑を目的として築造されたものと云われている当時の堰は杭木八百三十五本と天田の石塊とを用いて造られた極めて簡単なものであつた年久しく過ぎて昭和五年永久堰としてコンクリート堰に改築したが出水毎に修理をしなければならなかつた特に昭和三十三年の十一号台風に伴う[1]出水により大破壊となり其惨状見る影もなく勿論灌漑は不可能となつたそこで御厚意に依り昭和三十四年度災害復旧工事に認められ補助金が決定された早速受益者の集会を開いて改築することに一決したのである工事に際しては時恰も五行川が改修途上にあり災害関連工事として施行された為栃木県小貝五行川改修事務所の御尽力御協力は計り知れない程であつた永年悩み続けそして又当部落の生命線でもあつた大堰の問題は漸く解決し茲に最も近代的設計に依り近郷稀に見る可動式大堰は完成するに至つた
昭和三十五年三月竣工
(※下半分は人名が並ぶ)
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オリジナルの文章では「伴ふ」とあるが、本サイトでは「伴う」に改めた。