二宮金次郎像(真岡市民会館)
真岡市民会館にある二宮金次郎像。

二宮金次郎像
二宮尊徳先生
回村の像
真岡市長 中里 精 謹書
ひとつの出会い
二宮尊徳翁は、神奈川県小田原市に生まれ育つ。長じて五六歳のとき天保一三年(一八四二)江戸小川町勘定奉行所の幕臣となる。その翌年東郷、真岡、小名浜の陣屋付に就任 三つの陣屋を掛け持つこととなった。
なかでも本市にあった東郷陣屋真岡陣屋在任中の尊徳翁の功績はまことに大きい。近隣から多くの人足を集めつねに陣屋指揮手には地図 足にはわらじ、草野を開墾荒田畑を開発 水路を通じ道路を改修、村をひらいた。その面積五五〇余ヘクタールに及ぶ。
時は移り昭和五四年四月——。横浜市在住の経営評論家岩田忠利氏の紹介で二人の青年経営者が出会った。小田原市のスーパーヤオマサ社長田島 享氏と本県二宮町の大内製作所社長大内広雄氏である。
どちらも尊徳翁ゆかりの地で生まれ翁の目に見えぬ感化を受けて育った。片や「積小為大」の教えを実践 一坪の青果店から神奈川県屈指のスーパーへ。片や「報恩感謝」の教えを実践、地域社会のために国鉄寺内駅の民間駅長となり、奉仕活動へ。
田島氏はこの出会いを記念大内氏に尊徳翁銅像の進呈を約す。
これを今”ものを大切にする”宣言都市真岡市に迎えその実践者の徳を後世に残す。
昭和五五年六月吉日
寄贈者
小田原市前川 田島 享氏
芳賀郡二宮町 大内広雄氏
製作者
小田原市中里 彫刻家 横田七郎氏
真岡市町 中里 精 謹書
石工 茨城県真壁町 鈴木千代松石材工業
回村の像
真岡市長 中里 精 謹書
ひとつの出会い
二宮尊徳翁は、神奈川県小田原市に生まれ育つ。長じて五六歳のとき天保一三年(一八四二)江戸小川町勘定奉行所の幕臣となる。その翌年東郷、真岡、小名浜の陣屋付に就任 三つの陣屋を掛け持つこととなった。
なかでも本市にあった東郷陣屋真岡陣屋在任中の尊徳翁の功績はまことに大きい。近隣から多くの人足を集めつねに陣屋指揮手には地図 足にはわらじ、草野を開墾荒田畑を開発 水路を通じ道路を改修、村をひらいた。その面積五五〇余ヘクタールに及ぶ。
時は移り昭和五四年四月——。横浜市在住の経営評論家岩田忠利氏の紹介で二人の青年経営者が出会った。小田原市のスーパーヤオマサ社長田島 享氏と本県二宮町の大内製作所社長大内広雄氏である。
どちらも尊徳翁ゆかりの地で生まれ翁の目に見えぬ感化を受けて育った。片や「積小為大」の教えを実践 一坪の青果店から神奈川県屈指のスーパーへ。片や「報恩感謝」の教えを実践、地域社会のために国鉄寺内駅の民間駅長となり、奉仕活動へ。
田島氏はこの出会いを記念大内氏に尊徳翁銅像の進呈を約す。
これを今”ものを大切にする”宣言都市真岡市に迎えその実践者の徳を後世に残す。
昭和五五年六月吉日
寄贈者
小田原市前川 田島 享氏
芳賀郡二宮町 大内広雄氏
製作者
小田原市中里 彫刻家 横田七郎氏
真岡市町 中里 精 謹書
石工 茨城県真壁町 鈴木千代松石材工業