『報徳論』第1章
天道は自然にして人道は作為に出づるを論ず
原文
問ひて曰はく、「天道は自然にして人道は作為に出づるものは如何。」
曰はく、「一元気、流行し、春は暖和にして万物を生じ、夏は盛暑にして之を長育し、秋は冷凉にして之を成じ、冬は寒酷にして之を蔵す。四時錯行[1]し、風雨雪霜、時に従ひ、万歳を亘りて止まず、変ぜざるもの、是れ天道自然なり。是れ故に、草木は自然に従ひ、春夏に発育し、秋冬に零落す。禽獣魚虫も亦自然に随ひ、終日汲々として食を求め、得るときは飽き[2]、得ざるときは飢ゑ、惟だ其の生を養ふの外に道あるなし。是れ天道自然に任じて、生滅するものなり。上古、人道未だ開けざるときは、人の天地間に生まれ、生活するもの、何を以て禽獣に異ならんや。然して、禽獣魚虫、各々生まれながら羽毛、鱗介、爪牙具はり、以て寒暑を凌ぎ、雨露霜雪を支へ、食を求め、生を保つに足る。独り人のみ生れながら裸身にして、羽毛、鱗介の具はるものなし。是れ故に、寒暑、風雨、雪霜を防ぐを得ず。之が為めに生を遂ぐる能はず。互ひに食を求むるといへども、草根、木実足らずして飽かず。人々相争ひ、強は弱を凌ぎ、知は愚を欺き、専ら奪ひて、以て我が身を保たんとするのみ。鳥獣と群をなし、一日も安息するを得ず。神聖[3]、生まれ出でたまふに及んで、蒼生[4]の斯くのごとき有形を、深く歎き、厚く憐れみ、『禽獣魚虫は羽毛、鱗介ありて生を遂ぐると雖も知慮足らず、人は裸身にして生を安んじ難しと雖も万物に超出せり。然して禽獣の生を遂ぐるにも若かざる』を悲しみ、凡そ人たるもの、普く飢寒の憂ひを免れ、万世に至るまで其の生を遂げ、災害なからしむる所以の理を察し、心を労し、慮を尽くし、初めて人道を立て、蒼生を安んじたまふ。是れに於いて、丁壮[5]は云ふに及ばず、老幼に至るまで、飢寒の憂ひなく、其の身を安んじ、生を楽しむに至れり。爾来幾千歳、人々安息し、大いに禽獣に異なることを得るもの、一に神聖、千慮を尽くし、人道を作為したまふが故なり。」
曰はく、「人道の作為、如何。」
曰はく、「上古、人類は禽獣と同じく、日々汲々として食を求むと雖も、飽くを得ず。飢餓の憂ひ、絡繹として絶えず。故に原野を開墾し、生養すべきものを撰み、五穀を播種し、或いは流水を堰き、溝洫を穿ち、之を田に灌ぎ、或いは堤塘を築き、用水を備へ、或いは橋を架し、道を開き、通行を安んじ、或いは農器を製し、耕耘の便となし、一粒万倍の実りを生じ、民、始めて飢渇の憂ひを免れ、其の生を遂ぐるを得たり。然れども裸身にして、風雨、雪霜、寒暑の憂ひを免れず。是に於いて衣服を製作し、且つ木を伐り、竹を伐り、以て居室を作為し、穴居野処に替ヘ、日用諸の器物を製し、生活の便となし、身体を養ひ、民、始めて寒暑を凌ぎ、風雨を障じ、生養を安んずるを得たり。然して人身飽くまで食らひ、暖に衣、逸居して教へなければ、人欲限りなうして、相奪ひ、相害し、相凌ぎ、相争ふ、鳥獣と異ならず。是の故に人倫五常の道を立て、法度を定め、以て導き、民をして斯道を行はしめ、人欲を制し、法度を慎しましむ。是を以て、父子親あり、君臣義あり、夫婦別あり、長幼序あり、朋友信あり、上下貴賤の礼譲備はる。是に於いて、民、始めて掠奪、殺伐の危害を免れ、強弱、老幼、皆安居を得、四海泰然として治平す。是れ他なし。神聖、万民の艱苦を消し、永く生養を全うし、相楽しましめんが為めに作為し、立てたまふ所の道なり。故に凡そ人たるもの、其の欲する所を得、諸の憂苦なく、安楽、平穏を得るの道、之を措いて豈に他道あらんや。然れども、固と人作の道なるが故に、漸く[6]破壊に帰す。是を以て、聊かも怠れば、田圃は荒蕪となり、堤塘は崩れ、溝洫は埋まり、橋は破れ、堰は流れ、衣服は敝れ、居室は破る。人欲は増長して放逸の行ひに流れて止まず。是れ自然にあらずして、作為に出づるが為めに、其の本に帰るなり。是に由りて、之を観れば、田圃の荒るるは、天道自然なり。耕耘怠らずして、荒らさざるは、人道なり。堤の潰ゆるは、天道自然なり。之を築いて怠らざるは、人道なり。堰の破れ、川の下に流るるは、天道自然なり。之を堰きて怠らざるは人道なり。溝洫の埋まるは、天道自然なり。之を掘りて怠らざるは人道なり。衣服の敝するは、天道自然なり。之を製して怠らざるは人道なり。居室の破損するは、天道自然なり。之を造作して怠らざるは人道なり。人心、放僻奢侈に流るるは、自然なり。仁義礼譲を以て之を教へ、之を防ぎ、怠らざるは人道なり。万事皆然り。枚挙するに暇あらず。故に人道の要務は、私欲を制して能く勤動し、節倹を守りて仁義を行ふにあり。斯くのごとくんば、則ち作為の道全うして、永久、人事の憂患なし。若し人々安逸を好み、遊惰に流れ、坐ながら国盛んに、家優かにして、衣食住を安んぜんと欲すれば、忽然として自然に帰し、上古鳥獣の行ひに陥るや、弁を待たずして明らかなり。聖人、勤動怠らざるの道を以て万民永久安堵の道を立てたまふ。故に能く斯道を勤むれば、国家泰平にして万民和楽し、斯道を忽せにせば、禽獣の行ひに陥り、上下の大患となる。豈に恐れて而して勤めざるべけんや。我、幼より人道の頃刻も忽諸すべからざるを観察し、常に天道を恐れて、人道を怠らず。是を以て衰廃を興し、限りなきの米財を生じ、民の貧苦艱難を除き、其の衣食住を安んず。苟くも人道の本源を明らかにして、厚く仁政を施し、怠らざれば、国を治むる、何の難きことか之れあらん。」
曰はく、「一元気、流行し、春は暖和にして万物を生じ、夏は盛暑にして之を長育し、秋は冷凉にして之を成じ、冬は寒酷にして之を蔵す。四時錯行[1]し、風雨雪霜、時に従ひ、万歳を亘りて止まず、変ぜざるもの、是れ天道自然なり。是れ故に、草木は自然に従ひ、春夏に発育し、秋冬に零落す。禽獣魚虫も亦自然に随ひ、終日汲々として食を求め、得るときは飽き[2]、得ざるときは飢ゑ、惟だ其の生を養ふの外に道あるなし。是れ天道自然に任じて、生滅するものなり。上古、人道未だ開けざるときは、人の天地間に生まれ、生活するもの、何を以て禽獣に異ならんや。然して、禽獣魚虫、各々生まれながら羽毛、鱗介、爪牙具はり、以て寒暑を凌ぎ、雨露霜雪を支へ、食を求め、生を保つに足る。独り人のみ生れながら裸身にして、羽毛、鱗介の具はるものなし。是れ故に、寒暑、風雨、雪霜を防ぐを得ず。之が為めに生を遂ぐる能はず。互ひに食を求むるといへども、草根、木実足らずして飽かず。人々相争ひ、強は弱を凌ぎ、知は愚を欺き、専ら奪ひて、以て我が身を保たんとするのみ。鳥獣と群をなし、一日も安息するを得ず。神聖[3]、生まれ出でたまふに及んで、蒼生[4]の斯くのごとき有形を、深く歎き、厚く憐れみ、『禽獣魚虫は羽毛、鱗介ありて生を遂ぐると雖も知慮足らず、人は裸身にして生を安んじ難しと雖も万物に超出せり。然して禽獣の生を遂ぐるにも若かざる』を悲しみ、凡そ人たるもの、普く飢寒の憂ひを免れ、万世に至るまで其の生を遂げ、災害なからしむる所以の理を察し、心を労し、慮を尽くし、初めて人道を立て、蒼生を安んじたまふ。是れに於いて、丁壮[5]は云ふに及ばず、老幼に至るまで、飢寒の憂ひなく、其の身を安んじ、生を楽しむに至れり。爾来幾千歳、人々安息し、大いに禽獣に異なることを得るもの、一に神聖、千慮を尽くし、人道を作為したまふが故なり。」
曰はく、「人道の作為、如何。」
曰はく、「上古、人類は禽獣と同じく、日々汲々として食を求むと雖も、飽くを得ず。飢餓の憂ひ、絡繹として絶えず。故に原野を開墾し、生養すべきものを撰み、五穀を播種し、或いは流水を堰き、溝洫を穿ち、之を田に灌ぎ、或いは堤塘を築き、用水を備へ、或いは橋を架し、道を開き、通行を安んじ、或いは農器を製し、耕耘の便となし、一粒万倍の実りを生じ、民、始めて飢渇の憂ひを免れ、其の生を遂ぐるを得たり。然れども裸身にして、風雨、雪霜、寒暑の憂ひを免れず。是に於いて衣服を製作し、且つ木を伐り、竹を伐り、以て居室を作為し、穴居野処に替ヘ、日用諸の器物を製し、生活の便となし、身体を養ひ、民、始めて寒暑を凌ぎ、風雨を障じ、生養を安んずるを得たり。然して人身飽くまで食らひ、暖に衣、逸居して教へなければ、人欲限りなうして、相奪ひ、相害し、相凌ぎ、相争ふ、鳥獣と異ならず。是の故に人倫五常の道を立て、法度を定め、以て導き、民をして斯道を行はしめ、人欲を制し、法度を慎しましむ。是を以て、父子親あり、君臣義あり、夫婦別あり、長幼序あり、朋友信あり、上下貴賤の礼譲備はる。是に於いて、民、始めて掠奪、殺伐の危害を免れ、強弱、老幼、皆安居を得、四海泰然として治平す。是れ他なし。神聖、万民の艱苦を消し、永く生養を全うし、相楽しましめんが為めに作為し、立てたまふ所の道なり。故に凡そ人たるもの、其の欲する所を得、諸の憂苦なく、安楽、平穏を得るの道、之を措いて豈に他道あらんや。然れども、固と人作の道なるが故に、漸く[6]破壊に帰す。是を以て、聊かも怠れば、田圃は荒蕪となり、堤塘は崩れ、溝洫は埋まり、橋は破れ、堰は流れ、衣服は敝れ、居室は破る。人欲は増長して放逸の行ひに流れて止まず。是れ自然にあらずして、作為に出づるが為めに、其の本に帰るなり。是に由りて、之を観れば、田圃の荒るるは、天道自然なり。耕耘怠らずして、荒らさざるは、人道なり。堤の潰ゆるは、天道自然なり。之を築いて怠らざるは、人道なり。堰の破れ、川の下に流るるは、天道自然なり。之を堰きて怠らざるは人道なり。溝洫の埋まるは、天道自然なり。之を掘りて怠らざるは人道なり。衣服の敝するは、天道自然なり。之を製して怠らざるは人道なり。居室の破損するは、天道自然なり。之を造作して怠らざるは人道なり。人心、放僻奢侈に流るるは、自然なり。仁義礼譲を以て之を教へ、之を防ぎ、怠らざるは人道なり。万事皆然り。枚挙するに暇あらず。故に人道の要務は、私欲を制して能く勤動し、節倹を守りて仁義を行ふにあり。斯くのごとくんば、則ち作為の道全うして、永久、人事の憂患なし。若し人々安逸を好み、遊惰に流れ、坐ながら国盛んに、家優かにして、衣食住を安んぜんと欲すれば、忽然として自然に帰し、上古鳥獣の行ひに陥るや、弁を待たずして明らかなり。聖人、勤動怠らざるの道を以て万民永久安堵の道を立てたまふ。故に能く斯道を勤むれば、国家泰平にして万民和楽し、斯道を忽せにせば、禽獣の行ひに陥り、上下の大患となる。豈に恐れて而して勤めざるべけんや。我、幼より人道の頃刻も忽諸すべからざるを観察し、常に天道を恐れて、人道を怠らず。是を以て衰廃を興し、限りなきの米財を生じ、民の貧苦艱難を除き、其の衣食住を安んず。苟くも人道の本源を明らかにして、厚く仁政を施し、怠らざれば、国を治むる、何の難きことか之れあらん。」
[1]
「四時錯行」は「四季が巡る」の意。
[2]
「飽く」は「満腹になる」の意。現代語のような「退屈する」という意味はない。
[3]
「神聖」とは、神代の聖人(皇祖皇宗、特に天照大神)のこと。
[4]
「蒼生」は「平民」の意。
[5]
「丁壮」は「働き盛りの年齢の人」の意。壮年。
[6]
「漸く」は「次第に」の意。
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