『報徳論』第2章
国家の盛衰安危は譲奪に在るを論ず
原文
問ひて曰はく、「先生の道は推譲を以て主と為すとは何ぞや。」
曰はく、「人として一日も推譲なければ、人倫の道立たざるが故なり。」
曰はく、「人世、五倫五常、礼楽刑政を以て立てり。何ぞ推譲のみを主とせんや。」
曰はく、「五倫五常も推譲に非ざれば行はれず。礼楽刑政も亦推譲に由りて行はる。苟くも推譲なければ、掠奪、争闘、紛乱生ず。何の道か存するを得ん。何となれば、推譲は人の道なり。争奪は禽獣の行ひなり。上古、神聖未だ興らず、人道未だ立たざる時は、人の人たるもの、鳥獣と相去る遠からず。夫れ禽獣の性や、終日区々として飛走し、食を求め、生を養ふのみ。父子ありと雖も父子の親しみなく、夫婦ありと雖も夫婦の別なく、兄弟ありと雖も長幼の序なく、朋友の信なく、亦君臣の道なし。故に年老いて飛走する能はず、他の為に害せらるるも、敢へて之を救助するの行ひなく、疾病に苦しむと雖も、曽て之を哀れみ、其の病を治するの心なし。専ら己の口腹を養ふのみ。其の食を争ふに至れば、強きは弱きを倒し、相闘ひ、相奪ひ、些かも譲るの心あるなし。朝より夕に至るまで食を求むれども、其の求むる所、終日の食のみ。曽て儲蓄の慮りなし。故に終身食の足らざるに苦しむ。且つ他より我を害し、食となさんとするを惧れ、恟々として常に憂苦を懐き、周年の間、一刻の安きを得ず。人として禽獣と群をなし、禽獣の行ひを免れざれば、掠奪、残害、憂苦、痛歎止まず。豈に哀しまざらんや。
天照大神、蒼生の斯くのごとく浅ましき困苦を深く歎かせたまひ、推譲の道を以て豊葦原を開き、安国と平げたまふ。其の初め、僅かに数傾の田を開き、秋実を来歳に譲りて開墾し、年々歳々推し譲り、開かせたまひ、芒々たる原野、漸く開田となり、津々浦々に至るまで、限りなき米粟、器財を生じ、終に豊饒安楽の土地となしたまふもの、推譲の致す所なり。万民、飢ゑず、寒えず、衣食足りて而後、教ふるに仁義五倫の道を以てす。故に民の教へに従ふ、川流の海に帰するがごとく、君臣義あり、父子親あり、兄弟序あり、夫婦別あり、朋友信あり、掠奪、貪戻の風一変して、推譲、温厚の道行はる。是に於いて、君は臣に譲り、臣は君に譲り、父は子に譲り、子は父に譲り、兄弟互ひに譲り、夫婦相譲り、朋友俱に譲り、彼は是に譲り、是は彼に譲り、礼儀正しく、貴賤和睦し、生財日々に豊かに、儲蓄余りあり、家々足り、戸々給し、士農工商、各其の業を勤め、其の生を楽しみ、又更に災害、貧困の苦あるなし。昔、掠奪して一日の安息を得ざるもの、今は推譲に由りて、幸福、安楽の民となる。大いなるかな、譲道や。然らば則ち富国安民の道、何を以てか推譲に加ふるものあらんや。然して、独り我が朝の開けしのみ譲道に由るにあらず。凡そ天地間万国の興廃も皆然り。夫れ漢土開闢より幾千歳の間、人道未だ立たざる時に当たりては、猶ほ我が国の上古のごとし。伏義、神農、黄帝、尭、舜[1]生まれ出でしより以来、譲道を以て治め、海内泰然として、一民も其の所を得ざるものなく、人倫五常の道、大いに行はれ、上下交々譲り、四民互ひに譲り、治平の政、万歳に冠たり。中古、桀、紂、幽、厲[2]の時に至り、国の衰乱を生じ、万民塗炭の苦に陥り、獣相食むがごとく、掠奪、争闘、災害、禍乱、並び起こり、身弑せられ、国亡ぶ。他なし。奪ひて以て一人を利せんとするの致す所なり。然らば則ち国家の安富、尊栄、豊饒、治平は一の譲より起こり、国家の衰廃、争乱、災害、危亡は一の奪より起こる。瞭然として見るべし。何をか疑ひ、何をか惑はんや。蓋し人の人たる所以のもの、推譲の道あるが故なり。一日も推譲の道なくんば、何を以て禽獣に異ならん。禽獣魚虫は譲道なし。故に開闢より以来、幾万歳の末に至るまで、富優、安寧を得る能はず。人は万物の長となり、永く盛富、安栄を得て、患害、危亡の憂ひなきもの、神聖、譲道を立て、万世を安んじたまふが故なり。人たるもの、豈に一日も神聖の賜もの、譲道の貴きを忘るべけんや。然して叔世の人情、往々奢侈を好み、游情に流れ、治乱、盛衰、存亡、禍福、吉凶、貧富、栄辱の数者、譲と奪との二つにあるを忘れ、汲々として目前の利に趨り、他に奪ふを以て益となし、譲るを以て損となし、日々に富優を欲して弥貧困を倍し、月々に福を求めて弥禍を招き、歳々安栄を求めて弥危亡に陥るもの、是れ猶ほ荑稗を蒔きて稲梁の実りを待つがごとし。弥労して弥実るものは荑稗なり。稲梁を欲せば、何ぞ稲梁を蒔かざる。富優、安栄を欲せば、何ぞ譲道を行はざる。過ちの甚しきにあらずや。凡そ天下国家の治乱、盛衰は譲奪に由らざるものなし。夫れ推譲は万物増倍、豊富の道なり。掠奪は万物減少、危亡の道なり。試みに近く之を喩へん。今玆に米粟一苞あらんに、直ちに貪りて之を食らへば、僅かに数日の食のみ。一苞尽くるの後は復た一粒の得べきものなく、飢渇、死亡の憂ひを免れず。若し之を譲りて、以て土中に蒔けば数十苞となり、又譲りて蒔かば、数百苞となり、歳々此くのごとく譲らば、数万の米粟を生ず。又一家の内、父たるもの子に譲る、之を慈と云ひ、子たるもの父に譲る、之を孝と云ひ、兄として弟に譲る、之を良と云ひ、弟として兄に譲る、之を悌と云ひ、夫として婦に譲る、之を義と云ひ、婦の夫に譲る、之を聴と云ふ。此くのごとくなれば、一家和睦し、財、優かにして、安居を得るや必せり。若し一物の微だも、父子互ひに奪ひ、兄弟互ひに奪ひ、夫婦互ひに奪はば、忽然として忿怒、怨望起こり、一家破滅の禍、立ちて待つべきのみ。一家すら猶ほ斯くのごとし。況んや国天下に於けるをや。人君自ら分を引き去り、有余を生じ、之を譲り、四民を恵み、大いに仁政を下さば、誰か敢へて感動せざらん。誰か敢へて悦服せざらんや。
曰はく、「人として一日も推譲なければ、人倫の道立たざるが故なり。」
曰はく、「人世、五倫五常、礼楽刑政を以て立てり。何ぞ推譲のみを主とせんや。」
曰はく、「五倫五常も推譲に非ざれば行はれず。礼楽刑政も亦推譲に由りて行はる。苟くも推譲なければ、掠奪、争闘、紛乱生ず。何の道か存するを得ん。何となれば、推譲は人の道なり。争奪は禽獣の行ひなり。上古、神聖未だ興らず、人道未だ立たざる時は、人の人たるもの、鳥獣と相去る遠からず。夫れ禽獣の性や、終日区々として飛走し、食を求め、生を養ふのみ。父子ありと雖も父子の親しみなく、夫婦ありと雖も夫婦の別なく、兄弟ありと雖も長幼の序なく、朋友の信なく、亦君臣の道なし。故に年老いて飛走する能はず、他の為に害せらるるも、敢へて之を救助するの行ひなく、疾病に苦しむと雖も、曽て之を哀れみ、其の病を治するの心なし。専ら己の口腹を養ふのみ。其の食を争ふに至れば、強きは弱きを倒し、相闘ひ、相奪ひ、些かも譲るの心あるなし。朝より夕に至るまで食を求むれども、其の求むる所、終日の食のみ。曽て儲蓄の慮りなし。故に終身食の足らざるに苦しむ。且つ他より我を害し、食となさんとするを惧れ、恟々として常に憂苦を懐き、周年の間、一刻の安きを得ず。人として禽獣と群をなし、禽獣の行ひを免れざれば、掠奪、残害、憂苦、痛歎止まず。豈に哀しまざらんや。
天照大神、蒼生の斯くのごとく浅ましき困苦を深く歎かせたまひ、推譲の道を以て豊葦原を開き、安国と平げたまふ。其の初め、僅かに数傾の田を開き、秋実を来歳に譲りて開墾し、年々歳々推し譲り、開かせたまひ、芒々たる原野、漸く開田となり、津々浦々に至るまで、限りなき米粟、器財を生じ、終に豊饒安楽の土地となしたまふもの、推譲の致す所なり。万民、飢ゑず、寒えず、衣食足りて而後、教ふるに仁義五倫の道を以てす。故に民の教へに従ふ、川流の海に帰するがごとく、君臣義あり、父子親あり、兄弟序あり、夫婦別あり、朋友信あり、掠奪、貪戻の風一変して、推譲、温厚の道行はる。是に於いて、君は臣に譲り、臣は君に譲り、父は子に譲り、子は父に譲り、兄弟互ひに譲り、夫婦相譲り、朋友俱に譲り、彼は是に譲り、是は彼に譲り、礼儀正しく、貴賤和睦し、生財日々に豊かに、儲蓄余りあり、家々足り、戸々給し、士農工商、各其の業を勤め、其の生を楽しみ、又更に災害、貧困の苦あるなし。昔、掠奪して一日の安息を得ざるもの、今は推譲に由りて、幸福、安楽の民となる。大いなるかな、譲道や。然らば則ち富国安民の道、何を以てか推譲に加ふるものあらんや。然して、独り我が朝の開けしのみ譲道に由るにあらず。凡そ天地間万国の興廃も皆然り。夫れ漢土開闢より幾千歳の間、人道未だ立たざる時に当たりては、猶ほ我が国の上古のごとし。伏義、神農、黄帝、尭、舜[1]生まれ出でしより以来、譲道を以て治め、海内泰然として、一民も其の所を得ざるものなく、人倫五常の道、大いに行はれ、上下交々譲り、四民互ひに譲り、治平の政、万歳に冠たり。中古、桀、紂、幽、厲[2]の時に至り、国の衰乱を生じ、万民塗炭の苦に陥り、獣相食むがごとく、掠奪、争闘、災害、禍乱、並び起こり、身弑せられ、国亡ぶ。他なし。奪ひて以て一人を利せんとするの致す所なり。然らば則ち国家の安富、尊栄、豊饒、治平は一の譲より起こり、国家の衰廃、争乱、災害、危亡は一の奪より起こる。瞭然として見るべし。何をか疑ひ、何をか惑はんや。蓋し人の人たる所以のもの、推譲の道あるが故なり。一日も推譲の道なくんば、何を以て禽獣に異ならん。禽獣魚虫は譲道なし。故に開闢より以来、幾万歳の末に至るまで、富優、安寧を得る能はず。人は万物の長となり、永く盛富、安栄を得て、患害、危亡の憂ひなきもの、神聖、譲道を立て、万世を安んじたまふが故なり。人たるもの、豈に一日も神聖の賜もの、譲道の貴きを忘るべけんや。然して叔世の人情、往々奢侈を好み、游情に流れ、治乱、盛衰、存亡、禍福、吉凶、貧富、栄辱の数者、譲と奪との二つにあるを忘れ、汲々として目前の利に趨り、他に奪ふを以て益となし、譲るを以て損となし、日々に富優を欲して弥貧困を倍し、月々に福を求めて弥禍を招き、歳々安栄を求めて弥危亡に陥るもの、是れ猶ほ荑稗を蒔きて稲梁の実りを待つがごとし。弥労して弥実るものは荑稗なり。稲梁を欲せば、何ぞ稲梁を蒔かざる。富優、安栄を欲せば、何ぞ譲道を行はざる。過ちの甚しきにあらずや。凡そ天下国家の治乱、盛衰は譲奪に由らざるものなし。夫れ推譲は万物増倍、豊富の道なり。掠奪は万物減少、危亡の道なり。試みに近く之を喩へん。今玆に米粟一苞あらんに、直ちに貪りて之を食らへば、僅かに数日の食のみ。一苞尽くるの後は復た一粒の得べきものなく、飢渇、死亡の憂ひを免れず。若し之を譲りて、以て土中に蒔けば数十苞となり、又譲りて蒔かば、数百苞となり、歳々此くのごとく譲らば、数万の米粟を生ず。又一家の内、父たるもの子に譲る、之を慈と云ひ、子たるもの父に譲る、之を孝と云ひ、兄として弟に譲る、之を良と云ひ、弟として兄に譲る、之を悌と云ひ、夫として婦に譲る、之を義と云ひ、婦の夫に譲る、之を聴と云ふ。此くのごとくなれば、一家和睦し、財、優かにして、安居を得るや必せり。若し一物の微だも、父子互ひに奪ひ、兄弟互ひに奪ひ、夫婦互ひに奪はば、忽然として忿怒、怨望起こり、一家破滅の禍、立ちて待つべきのみ。一家すら猶ほ斯くのごとし。況んや国天下に於けるをや。人君自ら分を引き去り、有余を生じ、之を譲り、四民を恵み、大いに仁政を下さば、誰か敢へて感動せざらん。誰か敢へて悦服せざらんや。
伝 曰、『上 有 好 之者、下 必 有 甚 焉者矣。』[註3]
大夫随ひて譲り、士も亦互ひに譲り、庶人争ひて譲る。此の時に当たれば、財あるものは財を譲り、米粟あるものは米粟を譲り、或いは衣を譲り、食を譲り、道を譲り、田圃を譲り、家々譲らざるはなく、人々譲らざるものなし。国家、日々に盛隆、豊富、菽粟、財宝、湧くがごとく、民、安んぞ不仁なるものあらん。五倫五常の道、自ら其の中に流行す。何をか憂ひ、何をか求めんや。
伝 曰、『一家 譲、一国 興 譲。』[註4]
是の謂ひなり。苟くも譲道を益なしとして、一人奪ふ時は、紛乱、争奪、賊悪の行ひ起こり、上下交々奪ひ、四民互ひに奪ひ、亡滅数年を待たず。斯くのごときは仁義五常、礼楽刑政の道、何れの処に行はれ、何れの処に存せんや。人道斯に滅じ、上古鳥獣の行ひに帰するのみ。故に曰はく、『五倫五常、礼楽刑政も、其の本源、一の譲道にあり』と。譲道一たび廃すれば、国家墟とならん。又何をか論ぜん。蓋し鳥獣は奪ふが故に食足らず、人道は譲るが故に衣食豊かなり。今、人、譲道を棄てて身の幸福を滅じ、奪ひて以て鳥獣の行ひに陥るもの、歎くべきの至りにあらずや。我、幼より、人の禽獣に異なる所以は、人の譲道にあるを察せしより以来、既に五十有余年、専ら譲りて怠らず。是の故に、或いは廃邑を興して之を富ましめ、或いは衰国を再盛して百姓を撫育し、之を安んじ、上下の憂苦を除きしも、他なし。此の譲道を主として行ふが故なり。天下国家の治平は譲道にあり。衰廃、危亡は奪道にあり。開闢より方今に至るまで、斯くのごとし。後世幾万歳と雖も、亦復た斯くのごとし。」
[1]
「伏義」「神農」「黄帝」「尭」「舜」は、いずれも中国の名王。
[2]
「桀」「紂」「幽」「厲」は、いずれも中国の悪王。
[3]
『孟子』滕文公章句上篇の「上有好者、下必有甚焉者矣。」、『礼記』緇衣篇の「上好是物、下必有甚者矣。」を踏まえた言葉。
[4]
『大学章句』伝九章の「一家譲、一国興譲。」を踏まえた言葉。
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