波子の生誕地
二宮金次郎の妻波子の生誕の地。二宮金次郎は初め「きの」という女性と結婚したが、2年ほどで離縁となったため、服部家からの紹介で「波子(なみ)」という女性と再婚し、生涯をともにした。この場所は、波子の生誕地である。

二宮尊徳夫人生誕地の碑
二宮尊徳婦人生誕地
二宮尊徳先生夫人波子刀自ハ文化二年 一八〇五 三月十二日飯泉村組頭岡田峯衛門ノ女トシテ当所ニ生ル小田原藩家老服部氏ニ仕エ[1]ソノ勧ニヨリ文政三年四月十六歳ニシテ先生ニ嫁ス後ニ名ヲ歌子ト改ム先生野州桜町領興復ノ命ヲ受ケ文政六年夏一家ヲ廃シテ任ニ赴クヤ夫人欣然トシテコレニ随ウ以来三十有余年先生興国安眠ノ業ニ献身シ万家ヲ興シ不朽ノ大道ヲ立ツ夫人ヨク内ヲ守リ二児ヲ育テ自ラ飯杓ヲ執ツテ随身来訪者数数十名ニ給ス安政三年十月先生今市ニ没スルノ後ハ嗣子尊行ヲ励マシテ遺法ヲ継ガシム維新ニ及ンデ相馬ニ移住シ明治四年 一八七一 七月一日享年六十七ヲ以テ没ス夫人郷里ヲ出テヨリ帰省スルコト僅カニ一両回今ナオ遠地ニ眠ル岡田家当主深ク先生夫妻ノ徳業ヲ称エソノ望郷ノ念ヲ察シ遺品ヲ碑底ニ納メテ永ク冥福ヲ祈ルトイウ
昭和五十四年仲秋 佐々井典比古 謹撰
為 慈良院貞操知心大師菩提也
俗名 波子__[2]
施主岡田家後裔六代 岡田市平
妻 君子
協讃者
一円融合会理事長 元神奈川県副知事 佐々井典比古
二宮神社宮司 草山朝子
相馬平田山山主 野田祥三
富田家後裔四代 富田高明
篤志主 門松ひろ
施主姉 野田イト
飯泉山山主 峰孝雅
地元 飯泉有志一同
飯泉山寺__[3]書
石工早川小松石材店
二宮尊徳先生夫人波子刀自ハ文化二年 一八〇五 三月十二日飯泉村組頭岡田峯衛門ノ女トシテ当所ニ生ル小田原藩家老服部氏ニ仕エ[1]ソノ勧ニヨリ文政三年四月十六歳ニシテ先生ニ嫁ス後ニ名ヲ歌子ト改ム先生野州桜町領興復ノ命ヲ受ケ文政六年夏一家ヲ廃シテ任ニ赴クヤ夫人欣然トシテコレニ随ウ以来三十有余年先生興国安眠ノ業ニ献身シ万家ヲ興シ不朽ノ大道ヲ立ツ夫人ヨク内ヲ守リ二児ヲ育テ自ラ飯杓ヲ執ツテ随身来訪者数数十名ニ給ス安政三年十月先生今市ニ没スルノ後ハ嗣子尊行ヲ励マシテ遺法ヲ継ガシム維新ニ及ンデ相馬ニ移住シ明治四年 一八七一 七月一日享年六十七ヲ以テ没ス夫人郷里ヲ出テヨリ帰省スルコト僅カニ一両回今ナオ遠地ニ眠ル岡田家当主深ク先生夫妻ノ徳業ヲ称エソノ望郷ノ念ヲ察シ遺品ヲ碑底ニ納メテ永ク冥福ヲ祈ルトイウ
昭和五十四年仲秋 佐々井典比古 謹撰
為 慈良院貞操知心大師菩提也
俗名 波子__[2]
施主岡田家後裔六代 岡田市平
妻 君子
協讃者
一円融合会理事長 元神奈川県副知事 佐々井典比古
二宮神社宮司 草山朝子
相馬平田山山主 野田祥三
富田家後裔四代 富田高明
篤志主 門松ひろ
施主姉 野田イト
飯泉山山主 峰孝雅
地元 飯泉有志一同
飯泉山寺__[3]書
石工早川小松石材店
[1]
オリジナルの碑文では「仕ヘ」とあるが、全文が現代仮名遣いであるため、本サイトでは「仕エ」に改めた。
[2]
小さな字があるが判読不能
[3]
判読不能
周辺
勝福寺(飯泉観音)