『報徳記』序文
報徳記序
この序文は、宮内省が本書を刊行するにあたり、川田甕江が撰文し、巻首に付されたものである。
原文
孰謂吾道迂。得其一端、亦足以富国済民。今観於二宮尊徳事、有以知之矣。 尊徳相州栢邨人、発跡田畝、学無師承、耕読兼修大有所自得。蓋其立教以報天地功徳為宗。定分度以節用、闢荒蕪以拓土、勤倹力行、不事虚文、尚忠孝、重信義、郷党翕然化其徳。是時覇府末造、肉食秉政、上下困弊、民不聊生。邦君邑宰往往就詢救窮之方。尊徳為画策、小用小効、大用大効。其能大用者、前有小田原藩主大久保忠真、後有中邨藩主相馬充胤。而充胤収効尤居多云。中邨藩士有富田高慶者、受業尊徳、親炙日久。因録其畢生事跡、著報徳記八巻。充胤繕写奏覧。乃付儒臣校讐印行。勅臣剛[註1]弁一言於巻首。 恭惟国家中興、廃藩鎮、置府県、除弊制、挙人才。牧民官吏、特択循良。尚慮其或見近利以忘遠害、興工役以加賦斂、先威厳以後徳化。 車駕省方、親問民瘼、又遺大臣卿輔、歳時巡行以察治績殿最[註2]。則如尊徳所為。雖事属既往、宸衷嘉尚、至今弗諼。 嗚呼、彼不幸生不遭明時[註3]、牛刀割鶏[註4]、治止一境。其亦幸而此書刊布。使海内守令、景慕法効、伝恵沢於無窮。死者[註5]有知、当感泣地下也。 抑尊徳事業、尤見効於墾闢。世或視為農学者流、不知其報天地功徳者。祭義所謂報本反始。其定分度者、『王制』所謂量入為出。而闢荒拓土、『爾雅』謂之菑畬、『春秋伝』又称篳路藍褸之功。則一切施設、本於聖賢遺教。 非独守令取法。即博聞多識、号為師儒。其言不適世用者、亦将瞿然有所猛省焉。明治十六年新嘗祭後三日宮内省四等出仕従五位川田剛恭撰池原香稚謹書
「剛」は撰文者である川田剛(川田甕江)の名。
「殿最」とは「優劣」の意。「殿」は劣った功績、「最」は優れた功績を指す。
「明時」とは、めでたい治世の意であり、ここでは特に明治時代を指す。二宮金次郎は、日本が文明開化を迎える前に歿してしまったため、ついに明治の昭代を見ることはなかった。
「牛刀割鶏」は、『論語』陽貨篇の「割鶏焉用牛刀」(小さな問題を解決するために、大きな手法を用いるべきではない)を踏まえた表現であるが、ここでは断章取義され、「国政級の手法によって、村落を治めた」の意で書かれている。上下の文脈を考慮すれば、「この優れた手法によれば、本来(すくなくとも明治にあっては)さらに大きな成果を挙げることもできたであろうに、旧幕府の時代にあっては時いまだ早く、その治績は諸村落にとどまり、彼の役に足るような成果には至らなかった」の意であることが分かる。
ここでいう「死者」とは二宮金次郎のこと。
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