『報徳記』序文
進報徳記表
この文は、もと相馬藩主であった相馬充胤が、1880年(明治13年)、明治天皇に『報徳記』を献上する際に書かれたものである。なお、相馬藩は、江戸時代に藩士富田高慶の主導で二宮金次郎の仕法が導入され、挙藩実行、巨大な功績を収めた藩である。
原文
臣[註1]充胤、誠恐誠惶頓首頓首。臣祖享封遐邑、世叨司牧。天明之饑饉、天保之疫癘、致田野荒廃、人煙稀少、臣父益胤深憂之、焦思興復。未果所志而下世。臣少継遺緒、思拡張先業。家士富田高慶、志存忠誠、師二宮尊徳。尊徳授以興国安民之法。高慶乃与家老草野正辰等謀、勧臣行此法。其為教也、敦風俗、尚礼譲、矜孤寡、戒怠惰、節用厚生。無有遺策。自爾以還、民風漸振、農稼滋殖、流氓交来附[註2]、荒廃亦随起、家給人足、鶏犬相聞。是尊徳之所授、高慶等之所力、而父之素志、於是乎成矣、臣之微衷於是乎竭矣。然而尊徳之所実践、其可参民政者不尠。高慶採摭遺聞而述之者。即報徳記是也。 夫天之徳公明正大、地之徳重厚慈仁、而四時行矣、万物育矣。既有衣食有以免飢寒、有居室以禦風雨。夫為人者。徳天之徳、徳地之徳、夙興思之報、夜寐思之報、行信義、勤節倹、尺土拓至丈畝、錙銖積致鉅万、庶乎報徳之道。是則尊徳之平素持論、而高慶等之所奉以致興復也。 恭惟、天皇陛下、神聡叡明、当維新之創業、表旌潜徳、開顕幽微。不以臣不肖、尚忝恩賜。臣慚悚交至。叨恩実優渥、以私乎一身、則得無忸怩乎。故爰繕写報徳記八巻、随表以聞[註3]。伏冀為賜叡覧。臣誠恐誠惶頓首頓首謹言。明治十三年庚辰十月從四位臣相馬充胤上表