『報徳記』第1巻 第6章
先生総州成田山へ祈誓す
原文
于時某年某月、先生、歎じて曰はく、「予、君の委任を受け、此の地に至るより以来、心力を尽くし、此の邑を興し、此の民を安んぜんとして旧復の道を行ふこと、既に数年。道理に於いては、必定、旧復疑ひなしといへども、奸民、之を妨げ、且つ我と事業を共にする所の吏も亦各偏執、疑惑を生じ、讒訴に及べり。内には我が事を傷ふの妨げあり、外には佞奸の民と与して我が事業を破るの憂ひあり。此くのごとくして三邑を興復せんこと、其の期を計るべからず。嗚呼、我、能はずとして退かんことは易しと雖も、君命を廃するを如何せん。顧みるに、我が誠意の未だ至らざる所なり。苟くも誠心の至るに及びては、天下何事か成就せざらんや。」と。
是に於いて、窃かに陣屋を出でて総州成田山に至り、三七、二十一日の断食をなし、上、君意を安んじ、下、百姓を救はんことを祈誓し、日々数度の灌水を以て一身を清浄ならしめ、祈念、昼夜怠らず。二十一日、満願の日に至りて、其の至誠感応、志願成就の示現を得たりと云ふ。然れども、先生、終身此の事を言はず。是を以て人、其の所以を知らず。満願に及びて始めて粥を食し、一日にして二十里の道程を歩行し、桜町に帰れり。衆人、驚歎して曰はく、「如何なる剛強壮健の人なりと雖も、三七日の断食、身体疲労を以て僅かに数里の歩行も難かるべし。況んや二十里をや。是れ平常の測り難き所なり。」と。是より以来、邑民、自然、其の徳行に感じ、小田原出張の吏も亦私念挫折、良法の尊き所以を発明し、内外の妨害解散、実業始めて発達することを得たり。
始め、先生、窃かに成田へ至る人、之を知るものなし。江都へ登れるや、「将た何国へ往きたりや。」と陣屋内外、心を労し、之を尋ぬれども、其の在る処を知らず。先生、成田へ至るの日、旅宿、某の家に着して曰はく、「予は心願ありて断食祈誓する者なり。」と。旅亭の主、出でて其の容貌の常ならざるを訝り、其の居所、姓名を問ふ。小田原藩某なりと答へ、懐中より七十金を出だして之を託す。某、弥々怪しみ、「此の人、衣服、容貌、甚だ麁なり。然るに此の大金を持すること、何の故を知らず。止宿を拒まんには如かず。」と。曰はく、「今日、当家、混雑の事あり。願くは他へ宿したまへ。」と。先生曰はく、「止宿を断らば、前に断るべし。一旦諾して又此の言を発するは何ぞや。予、心願ありて祈念するものなり。何をか疑ふや。」と。其の声、鐘のごとく、眼光、人を射る。旅亭、大いに恐れ、之を謝す。退きて弥々心を安んぜず。私かに人をして江戸に至らしめ、小田原侯の邸に往き、此の事を告げて、「如何なる人ぞ。」と問ふ。小田原の臣、某、之を聞き、「二宮、成田へ詣り、祈誓することは必ず故あるべし。」と、此の者に告げて曰はく、「二宮は当藩にして常人にあらず。必ず軽易にすべからず。」と。時に君公、天下の執権たり。威名、諸国に震動せり。大いに怖れて成田に帰り、之を告ぐ。旅亭、始めて心を安んじ、待遇、甚だ信切なり。桜町に於いて、人を四方に趨らしめ、先生の至る所を求むれども得ず。一人、江都へ登り、竜の口、小田原侯の邸に至り、断食祈念の事を聞き、趨り帰りて之を告ぐ。是に於いて、「誰をか迎へに往かしめん。若し迎へて帰らざる時は、君公、我輩の罪となしたまはん。」と、之を憂ひ、一身を省み、頗る先非を悔ゆるの色あり。小路只助なるもの陣屋を発し、成田に至り、先生に謂ひて曰はく、「三邑共に甚だ先生の不在を憂ひ、向後、万事、指揮に差はず、勉励せんことを謂ふ。先生、諸人の憂労を憐れみ、速やかに帰りたまへ。」と。是れ断食祈誓、二十一日満願の日なり。先生、快然として野州に帰れり。
或るひと、此の事を聞き、評して曰はく、「先生の高徳を以て三邑を興し、村民を感化せんとす。素より放逸無慙の汚俗、一朝一夕の故にあらず。如何なる仁術を行ふと雖も、速やかに感化すべからざるは知るべきなり。然りと雖も、仏に祈誓するに断食を以てす。庸人、尚ほ其の不可を知る。然るに先生の高才を以て是のごときは何ぞや。是に由りて之を観れば、先生と雖も浮屠の説に蠱惑する所有るか。門人、応へて曰はく、「君子の行ふ所、豈に一を執りて以て論ずるを得んや。夫れ賞罰を以て国郡を治めんとするは世の常論なり。而して三邑のごときは累年、風俗頽廃、恰も禽獣の群居に似たり。将た之を賞せんとするか、善行の者、幾んど希なり。将た之を罰せんとするか、挙げて罰すべからず。夫れ先生の道を行ふや、民を導くに躬行を以てし、之を教ふるに至誠を以てし、遂に旧染の汚俗を洗ひ、固有の善に帰せしめ、一民を刑せずして三邑を再興し、其の民を安んず。是れ其の事業の難き所以なり。此の時に当たりて、特に奸民、教へに従はざるのみに非ず、同じく再復の命を受け、先生と協心戮力する所の吏と雖も、其の功を媢疾し、日夜、先生の事業を敗らんとんし、邑民を煽動し、加ふるに架空の讒言を行ふに至る。苟くも此の中間に立ちて、以て事を成さんとす。其の艱苦、如何ぞや。初め君命を受くるに当たり、若し再興安民の事業を遂ぐること能はざる時は、二たび故郷に帰り、君に面謁せずとの決意なるべし。先生、度量濶大にして、此の民を安んじ、之を教ふるの道、尽くさざる所無し。曽て漢学者を招き、聖経を講ぜしめ、又、心学者流をして之を教示せしめ、僧侶をして因果応報の理を諭さしむ。而して補ふ所あらず。是に於いてか、天を怨みず、人を咎めず、惟だ一身、誠意の足らざるを責むるのみ。一身を責むるの至る所、遂に其の身を死地に置きて、以て一心の不動を試みんとす。天地にも誓言すべく、鬼神をも祈るべし。亦何ぞ独り仏を避くるの隘心あらんや。是れ至誠の然らしむる所にして、素より常人の為す能はざる所なり。
是に於いて、窃かに陣屋を出でて総州成田山に至り、三七、二十一日の断食をなし、上、君意を安んじ、下、百姓を救はんことを祈誓し、日々数度の灌水を以て一身を清浄ならしめ、祈念、昼夜怠らず。二十一日、満願の日に至りて、其の至誠感応、志願成就の示現を得たりと云ふ。然れども、先生、終身此の事を言はず。是を以て人、其の所以を知らず。満願に及びて始めて粥を食し、一日にして二十里の道程を歩行し、桜町に帰れり。衆人、驚歎して曰はく、「如何なる剛強壮健の人なりと雖も、三七日の断食、身体疲労を以て僅かに数里の歩行も難かるべし。況んや二十里をや。是れ平常の測り難き所なり。」と。是より以来、邑民、自然、其の徳行に感じ、小田原出張の吏も亦私念挫折、良法の尊き所以を発明し、内外の妨害解散、実業始めて発達することを得たり。
始め、先生、窃かに成田へ至る人、之を知るものなし。江都へ登れるや、「将た何国へ往きたりや。」と陣屋内外、心を労し、之を尋ぬれども、其の在る処を知らず。先生、成田へ至るの日、旅宿、某の家に着して曰はく、「予は心願ありて断食祈誓する者なり。」と。旅亭の主、出でて其の容貌の常ならざるを訝り、其の居所、姓名を問ふ。小田原藩某なりと答へ、懐中より七十金を出だして之を託す。某、弥々怪しみ、「此の人、衣服、容貌、甚だ麁なり。然るに此の大金を持すること、何の故を知らず。止宿を拒まんには如かず。」と。曰はく、「今日、当家、混雑の事あり。願くは他へ宿したまへ。」と。先生曰はく、「止宿を断らば、前に断るべし。一旦諾して又此の言を発するは何ぞや。予、心願ありて祈念するものなり。何をか疑ふや。」と。其の声、鐘のごとく、眼光、人を射る。旅亭、大いに恐れ、之を謝す。退きて弥々心を安んぜず。私かに人をして江戸に至らしめ、小田原侯の邸に往き、此の事を告げて、「如何なる人ぞ。」と問ふ。小田原の臣、某、之を聞き、「二宮、成田へ詣り、祈誓することは必ず故あるべし。」と、此の者に告げて曰はく、「二宮は当藩にして常人にあらず。必ず軽易にすべからず。」と。時に君公、天下の執権たり。威名、諸国に震動せり。大いに怖れて成田に帰り、之を告ぐ。旅亭、始めて心を安んじ、待遇、甚だ信切なり。桜町に於いて、人を四方に趨らしめ、先生の至る所を求むれども得ず。一人、江都へ登り、竜の口、小田原侯の邸に至り、断食祈念の事を聞き、趨り帰りて之を告ぐ。是に於いて、「誰をか迎へに往かしめん。若し迎へて帰らざる時は、君公、我輩の罪となしたまはん。」と、之を憂ひ、一身を省み、頗る先非を悔ゆるの色あり。小路只助なるもの陣屋を発し、成田に至り、先生に謂ひて曰はく、「三邑共に甚だ先生の不在を憂ひ、向後、万事、指揮に差はず、勉励せんことを謂ふ。先生、諸人の憂労を憐れみ、速やかに帰りたまへ。」と。是れ断食祈誓、二十一日満願の日なり。先生、快然として野州に帰れり。
或るひと、此の事を聞き、評して曰はく、「先生の高徳を以て三邑を興し、村民を感化せんとす。素より放逸無慙の汚俗、一朝一夕の故にあらず。如何なる仁術を行ふと雖も、速やかに感化すべからざるは知るべきなり。然りと雖も、仏に祈誓するに断食を以てす。庸人、尚ほ其の不可を知る。然るに先生の高才を以て是のごときは何ぞや。是に由りて之を観れば、先生と雖も浮屠の説に蠱惑する所有るか。門人、応へて曰はく、「君子の行ふ所、豈に一を執りて以て論ずるを得んや。夫れ賞罰を以て国郡を治めんとするは世の常論なり。而して三邑のごときは累年、風俗頽廃、恰も禽獣の群居に似たり。将た之を賞せんとするか、善行の者、幾んど希なり。将た之を罰せんとするか、挙げて罰すべからず。夫れ先生の道を行ふや、民を導くに躬行を以てし、之を教ふるに至誠を以てし、遂に旧染の汚俗を洗ひ、固有の善に帰せしめ、一民を刑せずして三邑を再興し、其の民を安んず。是れ其の事業の難き所以なり。此の時に当たりて、特に奸民、教へに従はざるのみに非ず、同じく再復の命を受け、先生と協心戮力する所の吏と雖も、其の功を媢疾し、日夜、先生の事業を敗らんとんし、邑民を煽動し、加ふるに架空の讒言を行ふに至る。苟くも此の中間に立ちて、以て事を成さんとす。其の艱苦、如何ぞや。初め君命を受くるに当たり、若し再興安民の事業を遂ぐること能はざる時は、二たび故郷に帰り、君に面謁せずとの決意なるべし。先生、度量濶大にして、此の民を安んじ、之を教ふるの道、尽くさざる所無し。曽て漢学者を招き、聖経を講ぜしめ、又、心学者流をして之を教示せしめ、僧侶をして因果応報の理を諭さしむ。而して補ふ所あらず。是に於いてか、天を怨みず、人を咎めず、惟だ一身、誠意の足らざるを責むるのみ。一身を責むるの至る所、遂に其の身を死地に置きて、以て一心の不動を試みんとす。天地にも誓言すべく、鬼神をも祈るべし。亦何ぞ独り仏を避くるの隘心あらんや。是れ至誠の然らしむる所にして、素より常人の為す能はざる所なり。
古人 曰、『誠心一到、何 事 不 成。』
爾来、果たして同職の者、大いに前非を悔悟し、頑民と雖も其の誠心を感じ、妨害消除、遂に其の功を奏し、余沢、以て四方の民を安撫するに至る。君子の行ふ所、君子に非ざれば知ること能はず。何ぞ先生を議するの易々たるや。」或るひと曰はく、「吾、過てり。」
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