『報徳記』第1巻 第6章
常人撫恤の深意を察せずして小田原侯に訴ふ
原文
先生の桜町衰邑を起こし、指揮せしむるの良法は、天地開闢の上古を察し、金銀を期せずして廃蕪の地を開くに、一鍬より初め、水田一反歩を起こして其の出米、一石。其の半数は耕作の用に充て、半数を以て来歳の開田料となし、連年、此くのごとくすれば廃地を挙ぐるに廃地を以てし、年月を重ね、力を尽くす時は、幾万町の荒地も耕田となり、諸民撫育の用財も亦此の中に生ずるの大理を発明し、其の始め、小田原侯へ言上し、侯の出財を止め、宇津家の分度を調べ、十年豊凶平均の分度、千五苞を以て再興中の分限と定め、生家の田圃、家財、余さず沽却なし、若干の金員を種として東沼、物井、横田の三邑旧復の道を行ひ、頃刻も自ら案ぜず、千万の労を積み、一途に小田原侯の命令を遂げ、下、百姓の困苦を除き、永続の道を開かんとするの誠心、惣じて凡慮の及ぶ所にあらず。民戸を増さんが為、来民を招き、之を撫育するの道、甚だ厚し。
或るひと、問いて曰はく、「来民を安んずるは我が子を育するがごとくするか。」先生曰はく、「我が子は骨肉、分身の親しみあり。来民は自然の親しみあるにあらず。唯だ恩義の厚薄に依りて進退す。殊に生国を去り、他国に来たるもの、往々無頼の民多し。之をして此の土に永住せしむる事、其の撫育、我が子を育するに倍せずんば止まるべからず。」と。先生、撫恤の厚きこと、推して知るべし。来民、猶ほ此くのごとし。況んや在来の民をや。貧困に迫り、一家を失はんとするもの、或いは田を開き、租をゆるし、之を作らしめ、或いは負債を償ひ、或いは米粟を与へ、或いは家を与へ、農具を与へ、衣類を与へ、一家を保ち、活計をなす所以のもの、手を尽くさざるはなし。然るに恵みを加ふるの厚きに随ひて、彼の艱難、弥増し、恩沢を下すに随ひて、彼に災害至り、救はんとすれば却て倒る。先生、大に之を憂ひ、其の所以を考ふるに、「枯木、幾度糞培すといへども、其の再盛を得ることあたはず。新木に糞養すれば速やかに生長す。無頼の民、積悪、既に甚しく、将に亡びんとするの時到れり。然るを猶ほ之に恩沢を与ふる時は、弥々恩のために亡滅を促すの理あらん。助けんとして却て其の亡びを促すこと、仁に似て不仁に当たれり。然らば則ち教ふるに改心、勧善の道を以てし、彼の旧染の汚悪を濯ひ、改心、勤農の道立つに及びて恩恵を施す時は新木を培養するがごとく、災害を免れ、永続の道に至らん。又、教へを重ぬるといへども、彼、改心すること能はず、弥々無頼に流れ、道に背く時は、救助の道、施すべき所なし。其の亡ぶるを待ちて其の親族中、実直なるものを選み、其の家を継がしむる時は、是れ亦新木に糞するがごとく、積悪の報い、既に尽きて、再盛、疑ひなし、嗚呼、今まで恵みたるは姑息に当たれり。」と深く慮り、大いに教導を下し、改心の実業を見て、以て厚く之を恵み、其の改めざる者は困窮極まり、他へ走るといへども之を恵まず。
此の時に当たり、小田原より出張の吏、両、三輩、何ぞ此くのごとき深慮を知らんや。「困民の潰えんとするを見て救はず。何を以て衰邑を復せんや。既に家を失ひ、氓民になるものあり。仕法の徳、何れの所にかある。」と激論す。先生、答ふるに前件を以てすと雖も、深遠の道理、何を以て解する事を得ん。弥々不平を懐き、「二宮の仕法なるものは貧村を再復するの道にあらずして、之を傾覆せしむるの仕法なり。」と揚言す。下民も亦大いに之を怨めり。是に於いて、三輩、窃かに数箇条の文を綴る。皆、先生、民を厲ましむるの事となし、之を小田原に訴へ、大久保矦、之を聞きたまひ、「汝が訴ふるごとくならば、二宮の非なるに似たりと雖も、豈に一方の言を以て事の是非を決すべけんや。早く二宮を招き、其の曲直を糺すべし。」との命あり。先生、命に応じ、都に出づ。即ち尋問するに前件を以てす。先生曰はく、「臣の不肖を察したまはず、君、再三の命を以て彼の地の再興を任じたまへり。臣、彼の地に至るより、寝食を安んぜず、惟だ君命を奉じ、邑民を安んぜんとするのみ。豈に他あらんや。然れども今、其の事業、半ばに至らずして此の訴へあることは臣の不幸に止まらずして、又、君の不幸にあらずや。臣、自ら是とし、他を非とするの意念なし。何ぞ其の是非を弁ぜん。速やかに臣の任を解き、彼の訴ふるものに任じたまひ、彼、果たして彼の地を再興せば、誠に幸ひなり。元より臣の願ふ所なり。」と。君公、素より先生の誠忠にして、訴ふるものの私曲なることを察し、積年の労を慰して曰はく、「些かも汝を疑ふにあらず。曲直、素より問ふを待ちて後、知るにあらず。汝の深慮、凡庸の知る所に非ず。訴訟、讒言は小人の常なり。速やかに讒者の罪を糺すべし。」と。先生対へて曰はく、「彼、元より何の罪かあらん。是れ全く讒言には非ず。臣の規画を察せずして、民の憂ひとならん事を恐るるのみ。其の意も、亦、君へ忠を尽くさんが為なり。是を以て、臣、其の是非を論ぜず。君、若し彼を罪せば、臣、必ず野州の任を辞せんのみ。冀くは、君、彼を慰労し、永く野州の事を命じたまへ。然らば終に臣の意中も、彼、自ら解するに至らん。」と。賢公、大いに称歎し、其の言に任せたまふ。是に於いて、訴ふる者へ令して曰はく、「汝等、目前の浅知を以て安んぞ二宮が遠大の心を知らんや。知らずして卒爾に事を訴ふ。其の罪、軽きにあらず。直ちに其の罪に処すべしと雖も、二宮、汝等を閔れみ、是非を一言せず。共に終はりを全くすることを請求するの奇特に因りて、今、汝等を免すなり。再度、此くのごとき事を訴へなば、必ず其の罪を免すべからず。」と。三輩、案に相違し、大いに戦慄し、始めて先生の寛仁、深慮を察し、共に野州に至り、仕法を行ひたりと云ふ。
或るひと、問いて曰はく、「来民を安んずるは我が子を育するがごとくするか。」先生曰はく、「我が子は骨肉、分身の親しみあり。来民は自然の親しみあるにあらず。唯だ恩義の厚薄に依りて進退す。殊に生国を去り、他国に来たるもの、往々無頼の民多し。之をして此の土に永住せしむる事、其の撫育、我が子を育するに倍せずんば止まるべからず。」と。先生、撫恤の厚きこと、推して知るべし。来民、猶ほ此くのごとし。況んや在来の民をや。貧困に迫り、一家を失はんとするもの、或いは田を開き、租をゆるし、之を作らしめ、或いは負債を償ひ、或いは米粟を与へ、或いは家を与へ、農具を与へ、衣類を与へ、一家を保ち、活計をなす所以のもの、手を尽くさざるはなし。然るに恵みを加ふるの厚きに随ひて、彼の艱難、弥増し、恩沢を下すに随ひて、彼に災害至り、救はんとすれば却て倒る。先生、大に之を憂ひ、其の所以を考ふるに、「枯木、幾度糞培すといへども、其の再盛を得ることあたはず。新木に糞養すれば速やかに生長す。無頼の民、積悪、既に甚しく、将に亡びんとするの時到れり。然るを猶ほ之に恩沢を与ふる時は、弥々恩のために亡滅を促すの理あらん。助けんとして却て其の亡びを促すこと、仁に似て不仁に当たれり。然らば則ち教ふるに改心、勧善の道を以てし、彼の旧染の汚悪を濯ひ、改心、勤農の道立つに及びて恩恵を施す時は新木を培養するがごとく、災害を免れ、永続の道に至らん。又、教へを重ぬるといへども、彼、改心すること能はず、弥々無頼に流れ、道に背く時は、救助の道、施すべき所なし。其の亡ぶるを待ちて其の親族中、実直なるものを選み、其の家を継がしむる時は、是れ亦新木に糞するがごとく、積悪の報い、既に尽きて、再盛、疑ひなし、嗚呼、今まで恵みたるは姑息に当たれり。」と深く慮り、大いに教導を下し、改心の実業を見て、以て厚く之を恵み、其の改めざる者は困窮極まり、他へ走るといへども之を恵まず。
此の時に当たり、小田原より出張の吏、両、三輩、何ぞ此くのごとき深慮を知らんや。「困民の潰えんとするを見て救はず。何を以て衰邑を復せんや。既に家を失ひ、氓民になるものあり。仕法の徳、何れの所にかある。」と激論す。先生、答ふるに前件を以てすと雖も、深遠の道理、何を以て解する事を得ん。弥々不平を懐き、「二宮の仕法なるものは貧村を再復するの道にあらずして、之を傾覆せしむるの仕法なり。」と揚言す。下民も亦大いに之を怨めり。是に於いて、三輩、窃かに数箇条の文を綴る。皆、先生、民を厲ましむるの事となし、之を小田原に訴へ、大久保矦、之を聞きたまひ、「汝が訴ふるごとくならば、二宮の非なるに似たりと雖も、豈に一方の言を以て事の是非を決すべけんや。早く二宮を招き、其の曲直を糺すべし。」との命あり。先生、命に応じ、都に出づ。即ち尋問するに前件を以てす。先生曰はく、「臣の不肖を察したまはず、君、再三の命を以て彼の地の再興を任じたまへり。臣、彼の地に至るより、寝食を安んぜず、惟だ君命を奉じ、邑民を安んぜんとするのみ。豈に他あらんや。然れども今、其の事業、半ばに至らずして此の訴へあることは臣の不幸に止まらずして、又、君の不幸にあらずや。臣、自ら是とし、他を非とするの意念なし。何ぞ其の是非を弁ぜん。速やかに臣の任を解き、彼の訴ふるものに任じたまひ、彼、果たして彼の地を再興せば、誠に幸ひなり。元より臣の願ふ所なり。」と。君公、素より先生の誠忠にして、訴ふるものの私曲なることを察し、積年の労を慰して曰はく、「些かも汝を疑ふにあらず。曲直、素より問ふを待ちて後、知るにあらず。汝の深慮、凡庸の知る所に非ず。訴訟、讒言は小人の常なり。速やかに讒者の罪を糺すべし。」と。先生対へて曰はく、「彼、元より何の罪かあらん。是れ全く讒言には非ず。臣の規画を察せずして、民の憂ひとならん事を恐るるのみ。其の意も、亦、君へ忠を尽くさんが為なり。是を以て、臣、其の是非を論ぜず。君、若し彼を罪せば、臣、必ず野州の任を辞せんのみ。冀くは、君、彼を慰労し、永く野州の事を命じたまへ。然らば終に臣の意中も、彼、自ら解するに至らん。」と。賢公、大いに称歎し、其の言に任せたまふ。是に於いて、訴ふる者へ令して曰はく、「汝等、目前の浅知を以て安んぞ二宮が遠大の心を知らんや。知らずして卒爾に事を訴ふ。其の罪、軽きにあらず。直ちに其の罪に処すべしと雖も、二宮、汝等を閔れみ、是非を一言せず。共に終はりを全くすることを請求するの奇特に因りて、今、汝等を免すなり。再度、此くのごとき事を訴へなば、必ず其の罪を免すべからず。」と。三輩、案に相違し、大いに戦慄し、始めて先生の寛仁、深慮を察し、共に野州に至り、仕法を行ひたりと云ふ。
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