『報徳記』第2巻 第9章
先生青木邑の貧民を教諭す
原文
青木村、廃衰極まり、再復の方法を先生に請ふ。先生、之を辞すること三年。而して其の懇願止まず。其の艱難、殆ど亡村に及ばんとするを悲しみ、已むを得ずして再興の方法を下す。一時、貧民、老幼を携へ、他郷に走らん[註1]とする者あり。先生、之を察し、問ひて曰はく、「汝、将に此の地を去らんとするの意あり。夫れ人情、故郷を思念せざるものなし、暫時他郷に至るも、速やかに帰らんことを思ひ、昼夜安んぜず。遠路旅行の労に厭はず、帰村して始めて安眠するを得るにあらずや。且つ当邑の如きは幸福自在の地なり。然るを祖先以来の家株を棄て、故郷を去らんとするものは何ぞや。」応へて曰はく、「貧苦、既に迫り、負債、償ふ能はず。且つ其の督責に堪へず。真に已むを得ざればなり。何ぞ家産を失ひ、故郷を去るを好まんや。」先生曰はく、「実に汝の心情、愍れむべし。我、今、汝に唐鍬を与へん。此の鍬を以て貧苦を除き、負債を償ひ、富優を得よ。何ぞ此の地を去るに及ばんや。且つ当邑には、家屋あり、田圃あり、然して尚ほ一家を保つことを得ず。他郷に至らば家屋なく、田圃あるなし。何を以て一日も生活の道あらん。徒に道路に飢餓して其の斃るるを俟たんのみ」と。貧民曰はく、「僅かに一挺の鍬を以て富を得、借財を返すことを得ば、何を以て是の如きの絶窮に至らんや」と。先生諭して曰はく、「汝、富を得るの道を知らざるが故に窮せり。夫れ天地の運動、頃刻の間断あるなし。是故に、万物生々息まず。人、之に則り、間断なく勉励する天の運動の如くならば、困窮を求むと雖も得べからず。汝、種々の艱苦ありと雖も、畢竟農力足らず、怠惰に流れ、終に窮乏に及べり。今、我が教ふる所に従ひ、一つの唐鍬を以て従来の廃地を開墾し、老幼に至りては開田の草根を振ふべし。是の如くして此の鍬の破るる迄に力を尽くさば、必ず多数の開田を得べし。弥々黽勉、此の開田を耕耘せば、数年ならずして富に至らん。何ぞや。今、汝所有の田圃を鬻ぎ、代価を以て宿債残らず返却せば、負債、頓に消す。而して開田を耕す時は、十年乃至十五年も無税なり。是を以て産粟、皆、汝の有となる。夫れ生地の出穀、其の半ばは租となり高掛かりとなる有税の田を以て負債を償ひ、無税の田を耕す時は、求めずと雖も必ず富を得ること疑ふべからず。是れ唐鍬一つを以て富優を得る所以なり。是の如き安心自在の村里に生れ、之を棄て、他郷に走り、安地を出でて危地に入る。何ぞ愚の甚しきや。」貧民、良久しくして大に感悟し、悦びて曰はく、「高教に従ひて勉励せん」と。先生直ちに唐鍬を附与せり。是に於いて、生田を以て負債を償ひ、挙家開墾に尽力し、年々多分の産粟を有し、累年の貧苦を免れ、富饒を得たり。村民、亦た之を感じ、互に勉強し、之が為に開墾、頗る速やかなり。先生の教諭を下し、懶惰を改め、勉業と化し、貧人をして富を得せしむる者[註2]、往々此の如しと云ふ。 高慶[註3]曰、「如青木村、可謂衰頽極矣。非先生為是深慮遠計措置得宜、何以得免於窮餓哉。然而先生能令此民淳厚、此土墾闢、則天下固無不可化之民、無不可墾之地、亦明矣。里正勘右衛門之在此邑譬如蓮之在於泥中。若微勘右衛門、則先生亦何得施良法。自古事之成否存乎其人。小邑猶然。況大焉者乎。」
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