『報徳論』第10章
富を保つもの中庸の分度を立つるにあるを論ず
原文
「世の富を保つもの、永く之を子孫に伝へんと欲して往々衰貧を免れざるものは何ぞや。貧富往来、天理自然に委して、人道を以て之を制せざるが故なり。蓋し貧富往来は猶ほ四時錯行して、一たびは寒となり、一たびは暑となり、或いは昼となり、夜となり、須臾も止まらざるがごとく、貧極まれば富を生じ、富極まれば貧に陥る。然して富は何に由りて生ず。勤倹、是れなり。貧は何に由りて生ず。驕惰、是なり。然らば則ち驕惰なるものは貧困の本にして、勤倹なるものは富優の源なり。貧困極まれば、驕奢を欲すと雖も、之に供用すべきの財なく、怠惰を甘んずと雖も、飢寒身に迫り、一日も安んずる能はず。故に自ら勤倹の心起こる。苟くも勤倹なれば余裕を生ず。尚ほ勤倹止まざれば、終に富優に至る。又富優極まれば、勤倹を忘れて驕惰に流れ、或いは膏粱を貪り、或いは美服を纏ひ、或いは居室を餝り、其の為す所、悉く驕惰の二つに過ぎず。嘗て祖先の家を興すは勤倹にあるを省みるもの鮮し。況んや我が富は祖先の恩賚なるを了し、之が報恩を志し、苟くも分内を譲りて国家の為に尽くす所あらんとするものに於いてをや。終に驕逸の為に家を亡ぼし、元の貧困に陥る。是れ貧富循環、天理自然にして、世人の免れざる所以のもの、豈に明著ならずや。」
曰はく、「貧富往来、自然に委せずして人道を以て之を制するもの、如何。」
曰はく、「凡そ人の居室に安んじ、飢寒の憂ひを免れ、其の生を遂ぐるものは、聖人の大道に由るが故なり。若し此の大道に由らずして、天理自然に委するときは、人道爰に滅せん。夫れ人体なるものは、父母陰陽合して生出す。故に寒熱、水火、等分なり。我が体を撫して見よ。熱にあらず、寒にあらず、火なきにあらず、水なきにあらず。是れ寒熱、水火、均しきなり。寒熱均しき身なるが故に、暑を苦しみ、寒を憂ふ。是れ我が体に合はざればなり。三月と九月[1]とを以て快しとするは、寒暑等分、我が体に合すればなり。然るに人の情慾に至りては然らず。一身一家の事を処するに、此の中庸の度を用ゐずして、常に驕惰を快しとす。夫れ驕なるものは炎暑のごとく、惰なるものは極寒のごとし。蓋し人体の火、水に剋ちては熱病発し、水、火に剋ちては労病発し、身、終に斃る。是れ中分を失ふが為なり。家事の経営、何ぞ之に異ならん。貧惰に偏すれば全きを得ず、驕奢に倚すれば亦亡ぶ。故に百石の禄なれば五十石に約し、千石の禄なれば五百石に約し、千両の株なれば五百両を以てし、百両の株なれば五十両を以て生活を営むべし。是れ寒暑等分、貧富平均の中庸にして、寒ならず、熱ならず、一身無病にして寿きがごとく、子々孫々に至るまで富を持し、家を全うすべし。然れども、是のみにして家に陰徳を積まざれば、善人起らずして無頼のもの生まれ、祖法を破るの憂ひあり。是の故に中庸の分度を定めて余財を譲り、他の貧苦艱難を救助せば、陰徳、積善、焉より大なるはなし。仮令、凶旱、水溢ありと雖も、憂ふるに足らず。国を興し、民を安んずるも亦難からず。若し王者、之を行ひたまはば、天下を安んじ、侯伯、之を行はば、国家を安んじ、士庶人、之を行はば、必ず其の家を安んず。苟くも斯くのごとくなれば、国に衰乱の憂ひなく、家に貧困の苦なからん。是れ人道を尽くして、永く富を保つの大道なり。」
曰はく、「貧富往来、自然に委せずして人道を以て之を制するもの、如何。」
曰はく、「凡そ人の居室に安んじ、飢寒の憂ひを免れ、其の生を遂ぐるものは、聖人の大道に由るが故なり。若し此の大道に由らずして、天理自然に委するときは、人道爰に滅せん。夫れ人体なるものは、父母陰陽合して生出す。故に寒熱、水火、等分なり。我が体を撫して見よ。熱にあらず、寒にあらず、火なきにあらず、水なきにあらず。是れ寒熱、水火、均しきなり。寒熱均しき身なるが故に、暑を苦しみ、寒を憂ふ。是れ我が体に合はざればなり。三月と九月[1]とを以て快しとするは、寒暑等分、我が体に合すればなり。然るに人の情慾に至りては然らず。一身一家の事を処するに、此の中庸の度を用ゐずして、常に驕惰を快しとす。夫れ驕なるものは炎暑のごとく、惰なるものは極寒のごとし。蓋し人体の火、水に剋ちては熱病発し、水、火に剋ちては労病発し、身、終に斃る。是れ中分を失ふが為なり。家事の経営、何ぞ之に異ならん。貧惰に偏すれば全きを得ず、驕奢に倚すれば亦亡ぶ。故に百石の禄なれば五十石に約し、千石の禄なれば五百石に約し、千両の株なれば五百両を以てし、百両の株なれば五十両を以て生活を営むべし。是れ寒暑等分、貧富平均の中庸にして、寒ならず、熱ならず、一身無病にして寿きがごとく、子々孫々に至るまで富を持し、家を全うすべし。然れども、是のみにして家に陰徳を積まざれば、善人起らずして無頼のもの生まれ、祖法を破るの憂ひあり。是の故に中庸の分度を定めて余財を譲り、他の貧苦艱難を救助せば、陰徳、積善、焉より大なるはなし。仮令、凶旱、水溢ありと雖も、憂ふるに足らず。国を興し、民を安んずるも亦難からず。若し王者、之を行ひたまはば、天下を安んじ、侯伯、之を行はば、国家を安んじ、士庶人、之を行はば、必ず其の家を安んず。苟くも斯くのごとくなれば、国に衰乱の憂ひなく、家に貧困の苦なからん。是れ人道を尽くして、永く富を保つの大道なり。」
[1]
「三月」「九月」とは、それぞれ新暦4月、10月ごろをいう。
『二宮尊徳全集』第36巻を底本とした。ただし、次の方針に基づき、本サイトの管理人が独自に修訂を施してある。◆漢文以外は、すべて横書きに改めた。◆本文のカタカナはひらがなに改めた。◆旧字体は、新字体に改めた。◆仮名遣いは原則として旧仮名遣いのままとしたが、現代的な文語文法に基づき、適宜修正した。(例:飢へ→飢ゑ、全ふ→全う)◆送り仮名、句読点、括弧、改行は、現代的な感覚に即して大幅に改めた。(例:譬ば→譬へば、曰……→曰はく、「……。」) ◆振り仮名は、推測に基づき、適宜施した。◆助動詞および助詞は、仮名に開いた。(例:也→なり、如し→ごとし)◆「ゝ」や「〱」は原則として元の仮名に戻し、「〻」は削った。◆漢文には適宜訓点を補った。◆闕字、平出は廃した。
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