『報徳論』第11章
業を立つるものの自奉綿衣飯汁の三つに在るを論ず
原文
問ひて曰はく、「先生の道は国弊を矯め、衰廃を挙げ、厚く仁術を施し、上下の永安を得せしむる[1]の大道なり。君命を奉じて斯道を行ふもの、豈に大業にあらずや。大業に任ずるもの、其の身正しければ道行はれ、正しからざれば行はれざるは勿論なりと雖も、亦外に何を要として可ならんか。」
曰はく、「苟くも斯道を行ふものは、必ず下民に先んじ、艱苦を嘗め、節倹を尽くし、余財を譲り、仁愛を以てするを要とす。」
曰はく、「斯くの如きのみか。」
曰はく、「自ら民に先んずれば、民、其の労を忘る。艱苦を甘んじて節倹を尽くせば、財、余りあり。能く譲れば、民、服し、能く愛しめば、感戴せざるものなし。斯くのごとくんば、蛮夷の国と雖も治まらん。況んや衰国をや。」
曰はく、「古人の行ひ、之に似たるものなきにあらず。然して業を為すもの、往々其の終はりを遂ぐる能はざるは何ぞや。」
曰はく、「心、節倹にありと雖も、自奉の節、未だ尽くさざるが故なり。」
曰はく、「自奉の節、如何にせば可ならん。」
曰はく、「夫れ人として一日五合の食なければ飢ゑを免れず。五合の食あれば、身を養ひ、命を保つに足れり。何ぞ味の多きを貪らん。仮令山海の珍味を備ふるも、一日数升を食ふ能はず。然れば珍味は悉く奢侈にして、生養を期するものにあらず。唯だ汁は飯を導くを以て、体を養ふの要物なり。衣は寒暑を凌ぐの為のみ。綿衣にして足れり。其の他は皆奢侈の具と謂ふべし。故に我が身に奉ずるものは、必ず綿衣、飯、汁の三つを以て限るべし。人身、素より羽毛の寒暑を防ぐべきものなし。故に綿衣、以て之を防ぎ、又食なければ飢渇を免るる能はず。故に飯、汁、以て其の生を養ひ、自ら足るを知りて、終身、自奉の度となし、余財、以て下民恵恤の資本に加ふるときは、誰か敢へて服せざらんや。若し衣は錦繍を纏ひ、食は珍味を貪り、其の業を遂げんと欲せば、道、盛行の時は、害なきに似たりと雖も、変動の時に当たれば、衆人の誹謗起こり、佞奸、其の業を破るの具となり、積功、一時に崩潰す。是れ他より破るがごとくにして、実は自ら破るなり。是の故に事を成すもの、浮かまず、沈まず、中庸の行ひを以て要とす。
夫れ水車は、半輪、水を出で、半輪は水に入る。是を以て循環して止まず、廃せず。若し全車、水を離るれば運転の用をなさず、全車、水中に沈めば亦然り。故に人身、衣食を離るれば、身、滅し、衣食を貪れば、事成らずして害を生ず。飯、汁、綿衣の其の中を得るもの、水車の中を得て全きがごとし。古歌に『坐禅する祖師の姿は加茂川にころび流るる瓜か茄子か』。是れ百人、誹るものあれば、百人、之を称するものあり。百人、信ぜざれば、百人、信ずるあり。世と共に仏道行はれて朽ちざるや、猶ほ流水の瓜、半ば浮かみ、半ば沈み、水を離るるにあらず、又沈むにあらず、大海に達するが如きを云へり。君子の業を成すや、夫れ必ず斯に於いてす。美衣、美食、珍器、重宝、平常の時は我が身を助くるものに似たりと雖も、其の動揺変化の時に当たれば、皆悉く讒者誹謗の具にして、我を責むるの敵となる。古、事を成すもの、往々是が為に破る。歎ぜざるべけんや。然れば則ち自奉、必ず綿衣、飯、汁の三つに限り、分を節して有余を譲り、百姓の窮苦を除き、誠心以て之を撫恤すれば、仮令如何なる変動、逆浪、起こると雖も、動かす能はず。讒奸出づると雖も、其の邪説を飾るを得ず。徒誹、徒謗のみにして、又称誉するもの多し。何を以て破るを得んや。如此にして、其の業を遂げざるもの、未だ之れ有らざるなり。」
曰はく、「苟くも斯道を行ふものは、必ず下民に先んじ、艱苦を嘗め、節倹を尽くし、余財を譲り、仁愛を以てするを要とす。」
曰はく、「斯くの如きのみか。」
曰はく、「自ら民に先んずれば、民、其の労を忘る。艱苦を甘んじて節倹を尽くせば、財、余りあり。能く譲れば、民、服し、能く愛しめば、感戴せざるものなし。斯くのごとくんば、蛮夷の国と雖も治まらん。況んや衰国をや。」
曰はく、「古人の行ひ、之に似たるものなきにあらず。然して業を為すもの、往々其の終はりを遂ぐる能はざるは何ぞや。」
曰はく、「心、節倹にありと雖も、自奉の節、未だ尽くさざるが故なり。」
曰はく、「自奉の節、如何にせば可ならん。」
曰はく、「夫れ人として一日五合の食なければ飢ゑを免れず。五合の食あれば、身を養ひ、命を保つに足れり。何ぞ味の多きを貪らん。仮令山海の珍味を備ふるも、一日数升を食ふ能はず。然れば珍味は悉く奢侈にして、生養を期するものにあらず。唯だ汁は飯を導くを以て、体を養ふの要物なり。衣は寒暑を凌ぐの為のみ。綿衣にして足れり。其の他は皆奢侈の具と謂ふべし。故に我が身に奉ずるものは、必ず綿衣、飯、汁の三つを以て限るべし。人身、素より羽毛の寒暑を防ぐべきものなし。故に綿衣、以て之を防ぎ、又食なければ飢渇を免るる能はず。故に飯、汁、以て其の生を養ひ、自ら足るを知りて、終身、自奉の度となし、余財、以て下民恵恤の資本に加ふるときは、誰か敢へて服せざらんや。若し衣は錦繍を纏ひ、食は珍味を貪り、其の業を遂げんと欲せば、道、盛行の時は、害なきに似たりと雖も、変動の時に当たれば、衆人の誹謗起こり、佞奸、其の業を破るの具となり、積功、一時に崩潰す。是れ他より破るがごとくにして、実は自ら破るなり。是の故に事を成すもの、浮かまず、沈まず、中庸の行ひを以て要とす。
夫れ水車は、半輪、水を出で、半輪は水に入る。是を以て循環して止まず、廃せず。若し全車、水を離るれば運転の用をなさず、全車、水中に沈めば亦然り。故に人身、衣食を離るれば、身、滅し、衣食を貪れば、事成らずして害を生ず。飯、汁、綿衣の其の中を得るもの、水車の中を得て全きがごとし。古歌に『坐禅する祖師の姿は加茂川にころび流るる瓜か茄子か』。是れ百人、誹るものあれば、百人、之を称するものあり。百人、信ぜざれば、百人、信ずるあり。世と共に仏道行はれて朽ちざるや、猶ほ流水の瓜、半ば浮かみ、半ば沈み、水を離るるにあらず、又沈むにあらず、大海に達するが如きを云へり。君子の業を成すや、夫れ必ず斯に於いてす。美衣、美食、珍器、重宝、平常の時は我が身を助くるものに似たりと雖も、其の動揺変化の時に当たれば、皆悉く讒者誹謗の具にして、我を責むるの敵となる。古、事を成すもの、往々是が為に破る。歎ぜざるべけんや。然れば則ち自奉、必ず綿衣、飯、汁の三つに限り、分を節して有余を譲り、百姓の窮苦を除き、誠心以て之を撫恤すれば、仮令如何なる変動、逆浪、起こると雖も、動かす能はず。讒奸出づると雖も、其の邪説を飾るを得ず。徒誹、徒謗のみにして、又称誉するもの多し。何を以て破るを得んや。如此にして、其の業を遂げざるもの、未だ之れ有らざるなり。」
[1]
「得せしむる」は原文まま。「得しむる」の意。
『二宮尊徳全集』第36巻を底本とした。ただし、次の方針に基づき、本サイトの管理人が独自に修訂を施してある。◆漢文以外は、すべて横書きに改めた。◆本文のカタカナはひらがなに改めた。◆旧字体は、新字体に改めた。◆仮名遣いは原則として旧仮名遣いのままとしたが、現代的な文語文法に基づき、適宜修正した。(例:飢へ→飢ゑ、全ふ→全う)◆送り仮名、句読点、括弧、改行は、現代的な感覚に即して大幅に改めた。(例:譬ば→譬へば、曰……→曰はく、「……。」) ◆振り仮名は、推測に基づき、適宜施した。◆助動詞および助詞は、仮名に開いた。(例:也→なり、如し→ごとし)◆「ゝ」や「〱」は原則として元の仮名に戻し、「〻」は削った。◆漢文には適宜訓点を補った。◆闕字、平出は廃した。
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