『報徳論』第9章
聖人の道農夫の業に同じきを論ず
原文
問ひて曰はく、「嘗て聞く。『聖賢の道と、千住[1]の農夫の業と、同一なり』と。余、謂へらく、霄壌の異なるがごとし。而して同一の論あるは如何。」
曰はく、夫れ天下の事物、事同じうして、理異なるものあり。理同じうして、事異なるものあり。今、我が此の二者を論ずるは、則ち、理同じうして、事異なるを謂ふ。」
曰はく、「聖賢の道は天下国家を治め、四海をして平安ならしむるの大道なり。然るに、千住の農夫の業と、其の理、同じきものは何ぞや。」
曰はく、「聖人の道を貴び、農夫の業を卑しむ。甚しいかな、理の通ぜざるや。夫れ千住の農夫なるもの、稼穡の艱難を甘んじ、五穀を生養し、周歳勤動して聊かも怠らず。江都[2]の貴賤、不浄[3]の除く処なく、之を厭ひ、之を憂ふ。五穀は不浄にあらざれば生育せず。故に糞養を得ざれば、衰弱、枯槁して実る能はず。其れ人民は不浄を悪み、五穀は之を好む。若し人の憂ふる所の不浄を取り、五穀の好む処に与へざれば、都人、不浄の為に其の所を安んずるを得ず。五穀、不浄を欲して得ざるが故に、空しく枯槁し、二つながら全きを得ず。是れ豈に世の大患にあらずや。然して千住の農夫、夙に起き、三里の道を遠しとせず、汲々として奔走し、都人の憂ふるものを買ひ、身は重荷に労し、汗は面背に溢れ、流離して踵に至り、家に帰り、田間に行きて、之を五穀に灌ぎ与ふ。五穀、快然として生育す。不浄、頓に変化して清潔の五穀となる。是に於いて、清浄の五穀を負ひて都に出で、衆人の欲する処に売り与へ、飢渇の憂ひを免れ、其の生を安んぜしむ。人の憂ひを除き、以て五穀衰枯の憂ひなからしめ、五穀の実りを以て、人々飢渇の憂ひなからしめ、人命と五穀とを安んずるを以て、周歳の業となし、労を忘れ、力を尽くし、孜々として[4]止まず。都人、百万の安居する所以、豈に農夫の功、少なからんや。至れるかな、農夫の業。蓋し聖賢の国家を治め、万民を安んずるに、心志を労し、肺肝を砕き、身、親ら艱苦を嘗め、荒蕪を開きて耕田となし、民に与へて万民の衣食を安んじ、又其の貧苦を除き、救助の道を施し、幸福を与へて其の生を楽しましめ、溝洫を通じて灌漑の便となし、民の憂ふる所は之を除き、其の欲する所は之を与へ、其の安息する所以のもの、施さざるなし。万民、飽食暖衣して業を励み、生を楽しむ。是に於いて五倫
の道を教へ、孝、悌、忠、信の道行はれ、男女、老幼、鰈寡、孤独、癈疾のものに至るまで恩沢に浴し、安居せざるものなし。凡そ聖人の民の憂ふるものを変じて幸ひとなし、悪を化して善となし、汚俗を変じて淳厚となし、衰貧を変じて富優となし、危殆を変じて永安となし、能く仁義、五常を守らしむ。大いなるかな、聖人の道。聖人は天下国家を治むるに此の道を以てし、千住の農夫は一家活計の為に此の道を行ふ。故に、其の事は同じからずして、理は則ち一なり。今、国家を平治せんとして農夫の道に差はば、必ず治むる能はず。五穀を樹芸せんとして聖人の道に差はば、亦五穀を繁茂せしむる能はず。一は国を治め、一は田圃を治む。其の理に於いて、毫毛の差ひあるなし。然して世俗、皆聖賢の道の貴きを知りて、農夫の業を察せず。千住の農夫、一家の為に汲々として行ふと雖も、自ら斯くの如くの大道たるを知らず。世人も亦之を卑しとして察せず。是を以て二者一理の論を疑ふなり。若し国を治むるもの、能く農夫の業を察し、此の理を以て国家を治めば、聖人治平の政も、今斯に見るべきのみ。」
曰はく、夫れ天下の事物、事同じうして、理異なるものあり。理同じうして、事異なるものあり。今、我が此の二者を論ずるは、則ち、理同じうして、事異なるを謂ふ。」
曰はく、「聖賢の道は天下国家を治め、四海をして平安ならしむるの大道なり。然るに、千住の農夫の業と、其の理、同じきものは何ぞや。」
曰はく、「聖人の道を貴び、農夫の業を卑しむ。甚しいかな、理の通ぜざるや。夫れ千住の農夫なるもの、稼穡の艱難を甘んじ、五穀を生養し、周歳勤動して聊かも怠らず。江都[2]の貴賤、不浄[3]の除く処なく、之を厭ひ、之を憂ふ。五穀は不浄にあらざれば生育せず。故に糞養を得ざれば、衰弱、枯槁して実る能はず。其れ人民は不浄を悪み、五穀は之を好む。若し人の憂ふる所の不浄を取り、五穀の好む処に与へざれば、都人、不浄の為に其の所を安んずるを得ず。五穀、不浄を欲して得ざるが故に、空しく枯槁し、二つながら全きを得ず。是れ豈に世の大患にあらずや。然して千住の農夫、夙に起き、三里の道を遠しとせず、汲々として奔走し、都人の憂ふるものを買ひ、身は重荷に労し、汗は面背に溢れ、流離して踵に至り、家に帰り、田間に行きて、之を五穀に灌ぎ与ふ。五穀、快然として生育す。不浄、頓に変化して清潔の五穀となる。是に於いて、清浄の五穀を負ひて都に出で、衆人の欲する処に売り与へ、飢渇の憂ひを免れ、其の生を安んぜしむ。人の憂ひを除き、以て五穀衰枯の憂ひなからしめ、五穀の実りを以て、人々飢渇の憂ひなからしめ、人命と五穀とを安んずるを以て、周歳の業となし、労を忘れ、力を尽くし、孜々として[4]止まず。都人、百万の安居する所以、豈に農夫の功、少なからんや。至れるかな、農夫の業。蓋し聖賢の国家を治め、万民を安んずるに、心志を労し、肺肝を砕き、身、親ら艱苦を嘗め、荒蕪を開きて耕田となし、民に与へて万民の衣食を安んじ、又其の貧苦を除き、救助の道を施し、幸福を与へて其の生を楽しましめ、溝洫を通じて灌漑の便となし、民の憂ふる所は之を除き、其の欲する所は之を与へ、其の安息する所以のもの、施さざるなし。万民、飽食暖衣して業を励み、生を楽しむ。是に於いて五倫
の道を教へ、孝、悌、忠、信の道行はれ、男女、老幼、鰈寡、孤独、癈疾のものに至るまで恩沢に浴し、安居せざるものなし。凡そ聖人の民の憂ふるものを変じて幸ひとなし、悪を化して善となし、汚俗を変じて淳厚となし、衰貧を変じて富優となし、危殆を変じて永安となし、能く仁義、五常を守らしむ。大いなるかな、聖人の道。聖人は天下国家を治むるに此の道を以てし、千住の農夫は一家活計の為に此の道を行ふ。故に、其の事は同じからずして、理は則ち一なり。今、国家を平治せんとして農夫の道に差はば、必ず治むる能はず。五穀を樹芸せんとして聖人の道に差はば、亦五穀を繁茂せしむる能はず。一は国を治め、一は田圃を治む。其の理に於いて、毫毛の差ひあるなし。然して世俗、皆聖賢の道の貴きを知りて、農夫の業を察せず。千住の農夫、一家の為に汲々として行ふと雖も、自ら斯くの如くの大道たるを知らず。世人も亦之を卑しとして察せず。是を以て二者一理の論を疑ふなり。若し国を治むるもの、能く農夫の業を察し、此の理を以て国家を治めば、聖人治平の政も、今斯に見るべきのみ。」
[1]
底本の註に「千住は当時農村なり」とある。
[2]
江戸の都市のこと。
[3]
糞尿のこと。
[4]
「孜々たり」は「熱心である」の意。
『二宮尊徳全集』第36巻を底本とした。ただし、次の方針に基づき、本サイトの管理人が独自に修訂を施してある。◆漢文以外は、すべて横書きに改めた。◆本文のカタカナはひらがなに改めた。◆旧字体は、新字体に改めた。◆仮名遣いは原則として旧仮名遣いのままとしたが、現代的な文語文法に基づき、適宜修正した。(例:飢へ→飢ゑ、全ふ→全う)◆送り仮名、句読点、括弧、改行は、現代的な感覚に即して大幅に改めた。(例:譬ば→譬へば、曰……→曰はく、「……。」) ◆振り仮名は、推測に基づき、適宜施した。◆助動詞および助詞は、仮名に開いた。(例:也→なり、如し→ごとし)◆「ゝ」や「〱」は原則として元の仮名に戻し、「〻」は削った。◆漢文には適宜訓点を補った。◆闕字、平出は廃した。
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