『報徳論』第8章
国の盛衰は人君の躬行に在るを論ず
原文
「凡そ人君の国を治むるや、猶ほ農夫の稼穡に於けるがごとし。五穀繁茂して実り多きものは、耕耘、培養の力を尽くすにあり。国富み、民優かなるは、人君、心力を尽くし、厚く民を恵み、仁術を布くに由れり。若し夫れ一身の栄利を求め、遊楽を肆にし、聚斂、以て其の費えに供せんと欲せば、下民、怨望の心起こり、業を怠り、田圃荒蕪し、産粟年々に減じ、
終に衰貧極まり、上は愈下に取るを以て益とし、下は益貢税を減ずるを以て利とし、上下交々利を争ひ、国、危きに至る。夫れ農夫の五穀に於ける、生熟せずして衰枯するは、是れ五穀の罪にあらずして、農夫の怠惰にあるや、弁を待たずして明らかなり。若し其の衰枯を憂ひ、暢茂せしめんと欲せば、周年勤労し、培養、其の力を尽くすにあり。培養、力を尽くして繁茂せざるもの、未だこれあらず。菊花の美ならざるもの、菊の罪にあらず。之を作るものの過ちなり。茄子の実らざるもの、茄子の罪にあらず。之を植うるものの力足らざるなり。昔日まで来たれる雇夫の今日来たらざるは、雇夫の罪にあらず。之を使ふものの賃金を与ふる、少なきが故なり。是に由りて之を観れば、独り国家の盛衰のみ何ぞ然らざらんや。凡そ万物の盛衰、向背、多端なりと雖も、要する所、二者に出でず。二者とは何ぞや。曰はく、与ふると与へざるとの二つにあり。蓋し与ふれば、鳥獣来伏し、草木繁茂す。況んや有情の人民に於いてをや。与へざれば、鳥獣逃れ去り、草木衰枯し、民心乖離す。彼、安ければ、我、随ひて安く、彼、危ければ、我、随ひて危し。何ぞや。彼是一物なるが故なり。
終に衰貧極まり、上は愈下に取るを以て益とし、下は益貢税を減ずるを以て利とし、上下交々利を争ひ、国、危きに至る。夫れ農夫の五穀に於ける、生熟せずして衰枯するは、是れ五穀の罪にあらずして、農夫の怠惰にあるや、弁を待たずして明らかなり。若し其の衰枯を憂ひ、暢茂せしめんと欲せば、周年勤労し、培養、其の力を尽くすにあり。培養、力を尽くして繁茂せざるもの、未だこれあらず。菊花の美ならざるもの、菊の罪にあらず。之を作るものの過ちなり。茄子の実らざるもの、茄子の罪にあらず。之を植うるものの力足らざるなり。昔日まで来たれる雇夫の今日来たらざるは、雇夫の罪にあらず。之を使ふものの賃金を与ふる、少なきが故なり。是に由りて之を観れば、独り国家の盛衰のみ何ぞ然らざらんや。凡そ万物の盛衰、向背、多端なりと雖も、要する所、二者に出でず。二者とは何ぞや。曰はく、与ふると与へざるとの二つにあり。蓋し与ふれば、鳥獣来伏し、草木繁茂す。況んや有情の人民に於いてをや。与へざれば、鳥獣逃れ去り、草木衰枯し、民心乖離す。彼、安ければ、我、随ひて安く、彼、危ければ、我、随ひて危し。何ぞや。彼是一物なるが故なり。
語 曰、「百姓 足、 則君 誰 共 不 足矣。百姓 不 足、 則君 誰 共 足矣。」[註1]
是の謂ひなり。若し苟くも『国民は我が民なり。勤労して租税を納むるは下の道なり。之を取りて以て費用となすは人君の常なり』とせば、嗚呼、是れ大いなる過ちと云ふべし。下民も人なり。人君も人なり。何ぞ彼のみ独り辛苦して貢を納むるの道あらん。夫れ君たるの道は、常に下民の為に禍乱を拒ぎ、災害を除き、窮乏を救ひ、辛労を補ひ、善を賞し、悪を戒め、老を憐み、幼を恵み、鰈寡孤独の頼る所なきものを恵恤し、凡そ下民の生を安んずる所以のものは之を施し、日夜、之が為に心志を労し、肺肝を砕き、唯だ其の足らざるを憂ふ。是の故に下民も亦高恩に感じ、其の恩に報いんが為、粒々辛苦の五穀を貢として以て納む。他なし。是は心を労し、彼は力を労し、互ひに其の労を通じて、国家全く永安を得べし。豈に坐ながらにして、而して下に取るの道あらんや。是の故に、仁政を布くにあらずして、下に取るもの、度に過ぐれば、民、日々に窮し、飢寒を免れず。民、窮困すれば、国随ひて衰廃す。夫れ斯くのごとくにして富栄を得んとせば、猶ほ農夫坐ながらにして、五穀の実りを求むるがごとし。国家を治むるもの、豈に察せざるべけんや。
[1]
『論語』顔淵篇の「百姓足、君孰与不足。百姓不足、君孰与足」を踏まえた言葉。
『二宮尊徳全集』第36巻を底本とした。ただし、次の方針に基づき、本サイトの管理人が独自に修訂を施してある。◆漢文以外は、すべて横書きに改めた。◆本文のカタカナはひらがなに改めた。◆旧字体は、新字体に改めた。◆仮名遣いは原則として旧仮名遣いのままとしたが、現代的な文語文法に基づき、適宜修正した。(例:飢へ→飢ゑ、全ふ→全う)◆送り仮名、句読点、括弧、改行は、現代的な感覚に即して大幅に改めた。(例:譬ば→譬へば、曰……→曰はく、「……。」) ◆振り仮名は、推測に基づき、適宜施した。◆助動詞および助詞は、仮名に開いた。(例:也→なり、如し→ごとし)◆「ゝ」や「〱」は原則として元の仮名に戻し、「〻」は削った。◆漢文には適宜訓点を補った。◆闕字、平出は廃した。
次のページ