『報徳論』第7章
富貴天にあらず分を定め倹を行ふに在るを論ず
原文
「世俗に云はく、『富貴は天に在り』と。是れ富貴の由来を知らざるの説のみ。凡そ世人の憂ふる所、貧困にあり。而して其の貧困の由りて来たる所以を知らず。世人の欲する所、富貴にあり。而して其の富貴の由りて来たる所以を知らず。抑も大小各分限、定めありて易ふべからざるものは是れ則ち天にあり。而して貧富は然らず。人事に由りて生ず。何となれば、我が国を狭しとして之を大にせんとするも、四方蒼々たる大海なり。焉ぞ之を大にするを得ん。是れ天分定まりありて人力の及ぶ所にあらざるなり。一国、一郡、一邑も亦各大小等しからずと雖も、皆悉く天分定まりありて動かすべからず。若し一国を足らずとして、隣国の地を取らば則ち暴なり。一邑を足らずとして、他村の地を取らば則ち掠なり。一家も亦然り。千石の家あり、百石の家あり、是れ皆天分なり。其の天分に安んぜずして、之を他家に取らば則ち奪なり。暴戻掠奪は禽獣の行ひにして、苟くも人の為すべき所にあらず。世人徒に他の富貴を羨み、動もすれば他に取りて以て我が分を足さんことを謀り、反つて貧困に陥るもの何ぞや。他なし。富貴は外にあらずして、我が分内に備はるを知らざるが故なり。若し夫れ一国の用費を節して一年万金を余さば、十年に十万金、百年に壱百万金の余裕を生ず。是れ一国の土地、広きを加ふるにあらずして、広きを加ふるに異ならず。一家も亦然り。一年に十金を余さば、十年に百金、百年に一千金の余裕を生ず。是れ家禄田産を増すにあらずして、猶ほ増加するがごとし。其の余す所の多少に随ひて、多少の富優を致すもの何の疑ひかあらん。夫れ国土を増倍するは、百計を尽くすと雖も得べからず。生財に至りては、分を守り、用を節せば、労せずして或いは一倍[1]、若しくは数倍を得べし。凡そ内を減じて外に余せば、財宝湧くがごとく、幸福求めずして至る。他に取り、内に入るるを以て益とすれば、衰貧招かずして至り、亡びざれば息まず。天下の貧富苦楽、多端なるがごとしと雖も、此の二者に出でざるはなし。然らば則ち貧富は天にあらず、人事に由りて生ずるや、昭々乎として見るべし。世俗、往々為し易き事をなさず、求めて得難き事を為し、終身汲々区々として衰貧困辱を免るる能はず。豈に歎ぜざるべけんや。然して有余を生ずるに仁あり、不仁あり。己の利慾の為に其の分を滅ずるは、財を貪るの致す処にして、不仁の行ひなり。君子は分を滅じ、節倹を尽くし、年々歳々有余を生じて、以て衆人の艱苦を救ひ、人々をして安からしめ、之と苦楽を共にす。是れ豈に至仁の行ひにあらずや。」
[1]
「一倍」とは、現代語でいう「二倍」の意。
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