『報徳論』第4章
国を豊かにし民を富ますは無利息金にあるを論ず
原文
問ひて曰はく、「嘗て聞く。『先生の道は、聖人、位に在して、国家を治め、百姓を安んずるの大道なり』と。然るに無利息金を貸して、諸民の活計を助く。夫れ聖人、民を治むるに、仁政を以てす。未だ曽て金銀を貸すの術を聞かず。而して無利息金を用ゐるもの、聖人の道なるか。」
曰はく、「舟に刻みで遺物を求め、柱に膠して以て弾ずるもの、何ぞ活用の道を知らんや。昔、尭舜の天下を治むるに当たり、民人、未だ上古の風を失はず、淳朴質素にして奢靡に流れず、人、皆信実を主として詐偽に走らず。故に生財多く、費用少なし。聖人、斯民を愛し、之を恵む、子のごとく、四海、一家の親睦するがごとし。其の仁政を布くや、多端なりと雖も、皆其の時の宜しきに随ふ。何の疑ひかあらん。禹、湯、文、武、周公は聖人なり。而して同じく善政を施し、天下を治むと雖も、世、異に、人情も亦時と俱に変化す。何ぞ一を執りて活用の道なからんや。能く下情に達し、時を計り、其の宜しきを見て仁政を行ひ、万民をして困苦なからしむ。其の事、同じからざるがごとしと雖も、其の天下を富し、四民、皆、孝、協、忠、信、礼、義を行ひ、生を楽しみ、死に喪して怨みなく、泰然たる治平に在りては一なり。
それ天の万物を生ずるや、四時錯行、寒暑、冷暖、時と共に循環す。春夏秋冬に随ひ、人事の宜しきを制して悖らず。若し一を執りて活用の道なきときは、単衣、夏に適すと雖も、冬に至りて寒を防ぎ、身を全うする能はず。絮衣は冬に宜しと雖も、夏之を用ゐんとせば、必ず炎熱に窮せん。四時、尚ほ且つ同じからずして、其の事も亦異なり。其の事、異にして、其の宜しきを得るものは、則ち聖人の意なり。況んや数千歳の間に於いてをや。必ず時運の盛衰、人情の厚薄、且つ質素浮華の異なるなからんや。是の故に、今の政を古に施さば、民、怪しんで服せず。古の政を以て今を制せんとするも、労して功なきもの多からん。夏、殷、周、三代、礼制を同じうせずして、天下治まるとは是の謂ひなり。今の古を去る、幾千歳、諸民、往々淳朴を失ひて浮華を好み、質素の風、漸く衰へ、奢侈に流れ、惰遊に趨る。是を以て生財は月々に滅じ、用度は年々に増す。之を生ずるものは少なく、之を用ゐるものは多く、民、末利を逐ひて、本業を忽せにす。土地荒蕪し、賦税随ひて減じ、国用乏しく、下に取るもの度なく、百姓愈窮し、上下の憂ひ、極まるに至るもの少なからず。蓋し貴賤となく、貧困すれば、財を他に借らざるを得ず。故に貸借融通の道、繁く行はれ、其の不足を補ふを以て大小経営の資となす。貸す者は其の息を取りて奢侈の費用となし、借るものは利息増倍の責を償ふ能はずして、或いは倒れ、或いは逃る。終に貸す者は利の為に慈愛の道を失ひ、不仁に陥り、借る者は利の為めに立つべからざるに至り、貸借交々利を争ひ、互ひに其の非を誹り、怨恨を来し、仇讐の思ひを為すもの多し。借るもの傾覆すれば、貸すもののみ何ぞ独り全きを得ん。是れ財宝豊饒の時に当たり、昇平の大恩を忘れ、奢侈に流るるの禍なり。然れども自然の人情、財利に走るも時の勢ひなれば、此の憂ひを除き難し。古の民は誠実を貴びて財利を貴ばず。恩を謝するに事[1]を以てし、人を助くるに誠心を以てし、信義に報ゆるに信義を以てし、人を敬するに礼節を以てし、且つ事を換ふるに事を以てし、物を換ふるに物を以てし、淳朴質素を以て身を養ひ、家を治むるを常とす。今は然らず。財利を先んじ、誠意を後にし、恩を謝するに財を以てし、信義を通ずるに財を以てし、人を敬するに幣帛、苞苴を以てし、事を求むるに金銀を以てし、物を求むるに金銀を以てし、華美奢侈を以て身を養ひ、家を保たんとす。斯くのごとく、時勢同じからざるものは、叔世、自然に薄俗に赴き、本を忘れ、末に走るが故に、金銀に非ざれば一日も安からざるもののごとく汲々たり。此の時に当たりては聖人出づると雖も、救助、撫恤の道を行ひ、大いに仁政を下さんとするに、必ず金銀を措きて道行はれざるは、論を待たずして知るべきのみ。我、嘗て仰ぎて古の人情、時勢を考へ、俯して当時の民情を察し、衰貧、浮薄の憂ひを除き、四民、各淳厚、篤実の行ひに帰し、其の所を安んずるの道を求め、往古、我が国の開けたる道を以て荒地を開き、米粟を生じ、窮民を賑はし、且つ時の宜しきに処し、無利息金を以て前条如何ともすべからざる諸民の困苦を消除するや、譬へば雑巾を以て板敷の塵芥を除くよりも易し。夫れ日月、天に循環して国土を照らすこと、期年三百六十日、一日の欠くるなく、一刻の留まるなし。故に森羅万象、生々して各其の生を遂げ、其の期年生ずる所のもの、幾千万億、其の数量るべからず。斯くのごとく、無量の万物を生々すと雖も、日月聊か光を増すにあらず。又光を減ずるにあらず。唯だ年々天に循環して下土を照臨し、万物を発生するのみ。大いなるかな、日月の恵み。我が無利息金を以て衆民の困苦を除き、安栄の地に至らしむるは、則ち日月の国土を照らすに基づき、救助の道となす。何ぞや。世上の貴ぶ所、金銀に過ぐるはなく、世人の貧困を治するものも亦金銀より速やかなるはなし。然れども利息増倍の為に却りて諸人の困乏を増し、遂に怨恨、争論、傾覆の禍を生ずるに至る。是を以て無利息金を出だし、諸民に貸し与へ、年を期するに、或いは五年、或いは七年、若しくは十年を以て償はしめ、其の返金を以て又他に貸し与へ、年々歳々、斯くのごとくにして止まざれば、利息なきが故に、借者、大いに幸ひを得て、必ず累年の貧苦を免る。或いは有利の負債を償ひ、貸借紛々の憂ひ、頓に消し、将に亡びんとするの家、再び栄ゆるものあり。或いは家屋、雨露を障するの力なきもの、居家を得て以て安んじ、衣なきものは衣を得、農具なきものは農具を得、食なきものは食を得、田圃なきものは田圃を求め、凡そ下民、各欲する所を得、昔日貧困の為に、心を労し、憂苦に堪へず、生を聊んぜざるもの、今日忽ち幸福を得て、以て父母、妻子を養ひ、孝悌の道を行ふ。嗚呼、人情窮すれば良心を失ひ、随ひて放僻、邪肆に流る。衣食住全ければ自ら栄辱を知り、良心発動して人倫の道行はる。是れ人の常情なり。今仮に千金ありとす。之を五ヶ年賦に貸し出だし、一周度、則ち六十年間循環するときは、其の活用して諸民の有益となる金高二万五百両余となる。然して元金千両は、聊かも減ぜず、増さず。況んや幾千万両に於いてをや。嗚呼、無利息金の徳、大ならずや。蓋し日月の下土を照臨し、万物を生々するに基づきし[2]とは、それ之を謂ふなり。豈に是れ区々たるの行ひならんや。夫れ王者は天に代りて蒼生を安撫したまふが故に、斯道を布かせたまはば、天下、衰貧の憂ひなく、浮薄、遊情の民なく、悉く王化に浴し、感戴して生を楽しむに至らん。国君、之を行はば、一国興起し、泰然たる治平に至らん。聖人復た興ると雖も、今の世に当たり、国家を治め、万民の窮苦を除き、仁を四海に施し、永く上下このみちの憂患なからしむるもの、豈に斯道に由らずと謂ふべけんや。」
曰はく、「舟に刻みで遺物を求め、柱に膠して以て弾ずるもの、何ぞ活用の道を知らんや。昔、尭舜の天下を治むるに当たり、民人、未だ上古の風を失はず、淳朴質素にして奢靡に流れず、人、皆信実を主として詐偽に走らず。故に生財多く、費用少なし。聖人、斯民を愛し、之を恵む、子のごとく、四海、一家の親睦するがごとし。其の仁政を布くや、多端なりと雖も、皆其の時の宜しきに随ふ。何の疑ひかあらん。禹、湯、文、武、周公は聖人なり。而して同じく善政を施し、天下を治むと雖も、世、異に、人情も亦時と俱に変化す。何ぞ一を執りて活用の道なからんや。能く下情に達し、時を計り、其の宜しきを見て仁政を行ひ、万民をして困苦なからしむ。其の事、同じからざるがごとしと雖も、其の天下を富し、四民、皆、孝、協、忠、信、礼、義を行ひ、生を楽しみ、死に喪して怨みなく、泰然たる治平に在りては一なり。
それ天の万物を生ずるや、四時錯行、寒暑、冷暖、時と共に循環す。春夏秋冬に随ひ、人事の宜しきを制して悖らず。若し一を執りて活用の道なきときは、単衣、夏に適すと雖も、冬に至りて寒を防ぎ、身を全うする能はず。絮衣は冬に宜しと雖も、夏之を用ゐんとせば、必ず炎熱に窮せん。四時、尚ほ且つ同じからずして、其の事も亦異なり。其の事、異にして、其の宜しきを得るものは、則ち聖人の意なり。況んや数千歳の間に於いてをや。必ず時運の盛衰、人情の厚薄、且つ質素浮華の異なるなからんや。是の故に、今の政を古に施さば、民、怪しんで服せず。古の政を以て今を制せんとするも、労して功なきもの多からん。夏、殷、周、三代、礼制を同じうせずして、天下治まるとは是の謂ひなり。今の古を去る、幾千歳、諸民、往々淳朴を失ひて浮華を好み、質素の風、漸く衰へ、奢侈に流れ、惰遊に趨る。是を以て生財は月々に滅じ、用度は年々に増す。之を生ずるものは少なく、之を用ゐるものは多く、民、末利を逐ひて、本業を忽せにす。土地荒蕪し、賦税随ひて減じ、国用乏しく、下に取るもの度なく、百姓愈窮し、上下の憂ひ、極まるに至るもの少なからず。蓋し貴賤となく、貧困すれば、財を他に借らざるを得ず。故に貸借融通の道、繁く行はれ、其の不足を補ふを以て大小経営の資となす。貸す者は其の息を取りて奢侈の費用となし、借るものは利息増倍の責を償ふ能はずして、或いは倒れ、或いは逃る。終に貸す者は利の為に慈愛の道を失ひ、不仁に陥り、借る者は利の為めに立つべからざるに至り、貸借交々利を争ひ、互ひに其の非を誹り、怨恨を来し、仇讐の思ひを為すもの多し。借るもの傾覆すれば、貸すもののみ何ぞ独り全きを得ん。是れ財宝豊饒の時に当たり、昇平の大恩を忘れ、奢侈に流るるの禍なり。然れども自然の人情、財利に走るも時の勢ひなれば、此の憂ひを除き難し。古の民は誠実を貴びて財利を貴ばず。恩を謝するに事[1]を以てし、人を助くるに誠心を以てし、信義に報ゆるに信義を以てし、人を敬するに礼節を以てし、且つ事を換ふるに事を以てし、物を換ふるに物を以てし、淳朴質素を以て身を養ひ、家を治むるを常とす。今は然らず。財利を先んじ、誠意を後にし、恩を謝するに財を以てし、信義を通ずるに財を以てし、人を敬するに幣帛、苞苴を以てし、事を求むるに金銀を以てし、物を求むるに金銀を以てし、華美奢侈を以て身を養ひ、家を保たんとす。斯くのごとく、時勢同じからざるものは、叔世、自然に薄俗に赴き、本を忘れ、末に走るが故に、金銀に非ざれば一日も安からざるもののごとく汲々たり。此の時に当たりては聖人出づると雖も、救助、撫恤の道を行ひ、大いに仁政を下さんとするに、必ず金銀を措きて道行はれざるは、論を待たずして知るべきのみ。我、嘗て仰ぎて古の人情、時勢を考へ、俯して当時の民情を察し、衰貧、浮薄の憂ひを除き、四民、各淳厚、篤実の行ひに帰し、其の所を安んずるの道を求め、往古、我が国の開けたる道を以て荒地を開き、米粟を生じ、窮民を賑はし、且つ時の宜しきに処し、無利息金を以て前条如何ともすべからざる諸民の困苦を消除するや、譬へば雑巾を以て板敷の塵芥を除くよりも易し。夫れ日月、天に循環して国土を照らすこと、期年三百六十日、一日の欠くるなく、一刻の留まるなし。故に森羅万象、生々して各其の生を遂げ、其の期年生ずる所のもの、幾千万億、其の数量るべからず。斯くのごとく、無量の万物を生々すと雖も、日月聊か光を増すにあらず。又光を減ずるにあらず。唯だ年々天に循環して下土を照臨し、万物を発生するのみ。大いなるかな、日月の恵み。我が無利息金を以て衆民の困苦を除き、安栄の地に至らしむるは、則ち日月の国土を照らすに基づき、救助の道となす。何ぞや。世上の貴ぶ所、金銀に過ぐるはなく、世人の貧困を治するものも亦金銀より速やかなるはなし。然れども利息増倍の為に却りて諸人の困乏を増し、遂に怨恨、争論、傾覆の禍を生ずるに至る。是を以て無利息金を出だし、諸民に貸し与へ、年を期するに、或いは五年、或いは七年、若しくは十年を以て償はしめ、其の返金を以て又他に貸し与へ、年々歳々、斯くのごとくにして止まざれば、利息なきが故に、借者、大いに幸ひを得て、必ず累年の貧苦を免る。或いは有利の負債を償ひ、貸借紛々の憂ひ、頓に消し、将に亡びんとするの家、再び栄ゆるものあり。或いは家屋、雨露を障するの力なきもの、居家を得て以て安んじ、衣なきものは衣を得、農具なきものは農具を得、食なきものは食を得、田圃なきものは田圃を求め、凡そ下民、各欲する所を得、昔日貧困の為に、心を労し、憂苦に堪へず、生を聊んぜざるもの、今日忽ち幸福を得て、以て父母、妻子を養ひ、孝悌の道を行ふ。嗚呼、人情窮すれば良心を失ひ、随ひて放僻、邪肆に流る。衣食住全ければ自ら栄辱を知り、良心発動して人倫の道行はる。是れ人の常情なり。今仮に千金ありとす。之を五ヶ年賦に貸し出だし、一周度、則ち六十年間循環するときは、其の活用して諸民の有益となる金高二万五百両余となる。然して元金千両は、聊かも減ぜず、増さず。況んや幾千万両に於いてをや。嗚呼、無利息金の徳、大ならずや。蓋し日月の下土を照臨し、万物を生々するに基づきし[2]とは、それ之を謂ふなり。豈に是れ区々たるの行ひならんや。夫れ王者は天に代りて蒼生を安撫したまふが故に、斯道を布かせたまはば、天下、衰貧の憂ひなく、浮薄、遊情の民なく、悉く王化に浴し、感戴して生を楽しむに至らん。国君、之を行はば、一国興起し、泰然たる治平に至らん。聖人復た興ると雖も、今の世に当たり、国家を治め、万民の窮苦を除き、仁を四海に施し、永く上下このみちの憂患なからしむるもの、豈に斯道に由らずと謂ふべけんや。」
[1]
「事」は「奉仕する」の意。なお、「事」の字は、この用法においては「つかふ(つかえる)」と訓読みする。
[2]
「し」は原文まま。過去の助動詞「き」。
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