『報徳論』第5章
荒蕪を闢くは上古の道にあるを論ず
原文
「国に盛衰あり。其の衰時に在りては、土地荒蕪し、人民貧苦、飢寒の憂ひを免れず。抑も国家安寧の道は、荒蕪を開き、五穀を生じ、下民の衣食住を、優給ならしむるにあり。下民優給なる時は国の本固し。本固ければ、永く国家の憂ひなし。
今人は衰廃を挙げ、諸民を安ぜんとするの志ありと雖も、此の業や多額の費用を得るにあらざれば能はず。然るに衰国、財に乏しく、今日の国用、尚ほ足らず。何の余裕ありてか之を行はんやと、徒に之を憂ふるのみ。嗟乎、是れ国土開け、米金、財宝、万器、万物全備の今日に当たりて、衰廃を目するが故に、財にあらざれば挙ぐる能はずと為すなり。
蓋し開闢より以来、土地開けて、然る後、米金、財宝生ず。米金、財宝ありて土地開けたるにあらず。順に至るものを逆に見て衰廃を挙げんとせば、術尽きて如何ともするあたはず。抑も上古、国の未だ開けざる時に当たりては、芒々たる原野にして、一物だも存せず。一金の得べきなく、一粟の得べきなし。諸民、草根を掘り、木実を拾ひ、口腹を養ひ、木葉を連ね、身に纏ひ、岩を鑿ちて雨露を障し、終身飽かず、暖かならず。鳥獣と群れを同じうして一日の安居なく、一刻の楽しみなし。神聖、此の有形を深く憐れみたまひ、生養すべきものを選み、稼穡の道を授け、其の実りを得て、之を来歳に譲り、年々順次開墾し、原野変じて耕田となり、限りなきの米粟を生じ、民、始めて穀食に就き、命を保つを得たり。是に於いて、衣を織り、寒暑を凌ぎ、居室を作り、穴居に替へ、衣食住備はり、然して後、随ひて万器、万物、金銀、財宝に至るまで、漸々に備はり、遂に山の麓より海浜の末に至るまで、土地開け、百貨繁殖し、何一つ備はらざるなき豊饒、繁栄の国土となりしも、其の初め、神聖、万民の為に稼穡の道を授け、譲りの道を以て開かせたまひしに由れり。我が国に生るるもの、深く顧み、感戴し、頃刻も此の高恩を忘るべけんや。斯くのごとく、原野を開き、万物を生じ、兆民を安んじたまふと雖も、其の始め、異国の米金を借りて興したまふにあらず。然るに今、金銀、財宝、米穀、器物、充足せし豊饒、安栄の幸ひを我が物とし、広大無量の国恩を忘れ、奢侈に長じ、譲道の貴きを捨て、私心の欲するままに進退す。故に遊情に流れ、業を廃し、土地荒蕪し、生財日々に乏しく、用費日々に増倍す。豈に衰廃せざるを得んや。夫れ田畝、一たび荒るれば、必ず上古の葦原に帰す。土地は上古に帰せり。之を起こさんとするものは、数千歳の後に生せし金銀を目当てとなし、金銀なければ開墾するあたはずと云ふ。其の思慮の差へる、猶ほ南国に帰るものを、北国に索むるがごとし。万慮を尽くすと雖も、亦何の益かあらん。是れ今の世に生まれて古の道を顧みざるが故なり。
若し将た金銀を以て荒蕪を開き、民を安んぜんとするか。荒地一反歩を開くに一両金を用ゆれば[1]、壱町十金、拾町百金、百町千金、千町万金、一万町十万金、十万町を開くに百万金を得ざれば、開くあたはず。土地のみを開きて耕耘の民なければ益なし。故に農民、一家を建て、且つ衣・食・住・農具を与ふるに、其の価二十金又は三十金に非ざれば、一家を保ち、稼穡の力を尽くすを得ず。一家三十金、十家三百金、百家三千金、千家三万金、万家三十万金。夫れ衰国、貢税減じ、期年の入財、国用の半ばにも足らず。此の時に当たりて、荒蕪を開き、下民を安んずるの用費、百金だも得難し。況んや数千万金に於いてをや。是れ今世、有智のものと雖も、手を空しうして歎息する所以なり。
然して我は衆人の求むる所に異なり。南方に帰るものを索めんとすれば、南方に往く。北方に帰るものを索めんとすれば、北方に往く。是の故に、往くとして求め得ざるなし。今、土地の荒蕪は、即ち上古に帰るなり。之を開かんとすれば、必ず上古、神聖、豊葦原を開かせたまひし時に帰り、芒々たる原野に、我一人生まれ出でたる心を以て、千辛万苦の労を積み、一鍬より始め、十百千万、順を以て開墾し、其の実りを譲りて、以て開墾の用費となすべし。何ぞ後世の金銀を待たんや。況んや衰邑、衰国の土地と雖も、上古一円の原野に比すれば、万器、万物の優かなる、固より論なし。然らば、今の世に当たり、仮令万苦を嘗め、開墾、撫恤の業を行ふと雖も、上古に比すれば、其の難易知るべきのみ。嗚呼、我が国開闢以来の大道を棄て、後世の財宝に迷ひ、万器、万宝の本源たる土地を荒らし、徒に衰貧を憂ふるは、譬へば井を塞ぎて、水を求むるがごとし。蓋し水の井を掘るにあらず。井を掘れば水の出づるなり。然らば則ち金銀を俟たずして廃蕪を開くこと、何の難きか之れあらん。」
今人は衰廃を挙げ、諸民を安ぜんとするの志ありと雖も、此の業や多額の費用を得るにあらざれば能はず。然るに衰国、財に乏しく、今日の国用、尚ほ足らず。何の余裕ありてか之を行はんやと、徒に之を憂ふるのみ。嗟乎、是れ国土開け、米金、財宝、万器、万物全備の今日に当たりて、衰廃を目するが故に、財にあらざれば挙ぐる能はずと為すなり。
蓋し開闢より以来、土地開けて、然る後、米金、財宝生ず。米金、財宝ありて土地開けたるにあらず。順に至るものを逆に見て衰廃を挙げんとせば、術尽きて如何ともするあたはず。抑も上古、国の未だ開けざる時に当たりては、芒々たる原野にして、一物だも存せず。一金の得べきなく、一粟の得べきなし。諸民、草根を掘り、木実を拾ひ、口腹を養ひ、木葉を連ね、身に纏ひ、岩を鑿ちて雨露を障し、終身飽かず、暖かならず。鳥獣と群れを同じうして一日の安居なく、一刻の楽しみなし。神聖、此の有形を深く憐れみたまひ、生養すべきものを選み、稼穡の道を授け、其の実りを得て、之を来歳に譲り、年々順次開墾し、原野変じて耕田となり、限りなきの米粟を生じ、民、始めて穀食に就き、命を保つを得たり。是に於いて、衣を織り、寒暑を凌ぎ、居室を作り、穴居に替へ、衣食住備はり、然して後、随ひて万器、万物、金銀、財宝に至るまで、漸々に備はり、遂に山の麓より海浜の末に至るまで、土地開け、百貨繁殖し、何一つ備はらざるなき豊饒、繁栄の国土となりしも、其の初め、神聖、万民の為に稼穡の道を授け、譲りの道を以て開かせたまひしに由れり。我が国に生るるもの、深く顧み、感戴し、頃刻も此の高恩を忘るべけんや。斯くのごとく、原野を開き、万物を生じ、兆民を安んじたまふと雖も、其の始め、異国の米金を借りて興したまふにあらず。然るに今、金銀、財宝、米穀、器物、充足せし豊饒、安栄の幸ひを我が物とし、広大無量の国恩を忘れ、奢侈に長じ、譲道の貴きを捨て、私心の欲するままに進退す。故に遊情に流れ、業を廃し、土地荒蕪し、生財日々に乏しく、用費日々に増倍す。豈に衰廃せざるを得んや。夫れ田畝、一たび荒るれば、必ず上古の葦原に帰す。土地は上古に帰せり。之を起こさんとするものは、数千歳の後に生せし金銀を目当てとなし、金銀なければ開墾するあたはずと云ふ。其の思慮の差へる、猶ほ南国に帰るものを、北国に索むるがごとし。万慮を尽くすと雖も、亦何の益かあらん。是れ今の世に生まれて古の道を顧みざるが故なり。
若し将た金銀を以て荒蕪を開き、民を安んぜんとするか。荒地一反歩を開くに一両金を用ゆれば[1]、壱町十金、拾町百金、百町千金、千町万金、一万町十万金、十万町を開くに百万金を得ざれば、開くあたはず。土地のみを開きて耕耘の民なければ益なし。故に農民、一家を建て、且つ衣・食・住・農具を与ふるに、其の価二十金又は三十金に非ざれば、一家を保ち、稼穡の力を尽くすを得ず。一家三十金、十家三百金、百家三千金、千家三万金、万家三十万金。夫れ衰国、貢税減じ、期年の入財、国用の半ばにも足らず。此の時に当たりて、荒蕪を開き、下民を安んずるの用費、百金だも得難し。況んや数千万金に於いてをや。是れ今世、有智のものと雖も、手を空しうして歎息する所以なり。
然して我は衆人の求むる所に異なり。南方に帰るものを索めんとすれば、南方に往く。北方に帰るものを索めんとすれば、北方に往く。是の故に、往くとして求め得ざるなし。今、土地の荒蕪は、即ち上古に帰るなり。之を開かんとすれば、必ず上古、神聖、豊葦原を開かせたまひし時に帰り、芒々たる原野に、我一人生まれ出でたる心を以て、千辛万苦の労を積み、一鍬より始め、十百千万、順を以て開墾し、其の実りを譲りて、以て開墾の用費となすべし。何ぞ後世の金銀を待たんや。況んや衰邑、衰国の土地と雖も、上古一円の原野に比すれば、万器、万物の優かなる、固より論なし。然らば、今の世に当たり、仮令万苦を嘗め、開墾、撫恤の業を行ふと雖も、上古に比すれば、其の難易知るべきのみ。嗚呼、我が国開闢以来の大道を棄て、後世の財宝に迷ひ、万器、万宝の本源たる土地を荒らし、徒に衰貧を憂ふるは、譬へば井を塞ぎて、水を求むるがごとし。蓋し水の井を掘るにあらず。井を掘れば水の出づるなり。然らば則ち金銀を俟たずして廃蕪を開くこと、何の難きか之れあらん。」
[1]
「用ゆれば」は原文まま。
『二宮尊徳全集』第36巻を底本とした。ただし、次の方針に基づき、本サイトの管理人が独自に修訂を施してある。◆漢文以外は、すべて横書きに改めた。◆本文のカタカナはひらがなに改めた。◆旧字体は、新字体に改めた。◆仮名遣いは原則として旧仮名遣いのままとしたが、現代的な文語文法に基づき、適宜修正した。(例:飢へ→飢ゑ、全ふ→全う)◆送り仮名、句読点、括弧、改行は、現代的な感覚に即して大幅に改めた。(例:譬ば→譬へば、曰……→曰はく、「……。」) ◆振り仮名は、推測に基づき、適宜施した。◆助動詞および助詞は、仮名に開いた。(例:也→なり、如し→ごとし)◆「ゝ」や「〱」は原則として元の仮名に戻し、「〻」は削った。◆漢文には適宜訓点を補った。◆闕字、平出は廃した。