『二宮翁夜話』第1巻 第1章
翁曰はく夫れ誠の道は…
原文
翁曰はく、「夫れ誠の道は、学ばずしておのづから知り、習はずしておのづから覚え、書籍もなく、記録もなく、師匠もなく、而して人々自得して忘れず。是ぞ誠の道の本体なる。 渇して飲み、飢ゑて食ひ、労れていね、さめて起く。皆此の類なり。古歌に『水鳥のゆくもかへるも跡たえてされども道は忘れざりけり[1]』といへるがごとし。夫れ記録もなく、書籍もなく、学ばず、習はずして明らかなる道にあらざれば、誠の道にあらざるなり。
夫れ我が教へは書籍を尊まず。故に天地を以て経文とす。
予が歌に『音もなくかもなく常に天地は書かざる経をくりかへしつつ』とよめり。此くのごとく、日々繰り返し繰り返してしめさるる天地の経文に、誠の道は明らかなり。掛かる[2]尊き天地の経文を外にして、書籍の上に道を求むる学者輩の論説は取らざるなり。能く能く目を開きて天地の経文を拝見し、之を誠にする[3]の道を尋ぬべきなり。
夫れ世界、横の平は水面を至れりとす。竪の直は垂針を至れりとす。凡そ此くのごとき万古動かぬ物あればこそ、地球の測量も出来るなれ。 是を外にして測量の術あらむや。 暦道の表を立てて景を測るの法、 算術の九々のごとき、 皆自然の規にして万古不易の物なり。此の物によりてこそ、天文も考ふべく、暦法をも算すべけれ。此の物を外にせば、いかなる智者といへども、 術を施すに方なからん。
夫れ我が道も又然り。天言はず。而して四時行はれ、百物成る処[4]の不書の経文、不言の教戒、則ち米を蒔けば米がはえ、麦を蒔けば麦の実法るがごとき、万古不易の道理により、誠の道に基づきて之を誠にするの勤めをなすべきなり。」
夫れ我が教へは書籍を尊まず。故に天地を以て経文とす。
予が歌に『音もなくかもなく常に天地は書かざる経をくりかへしつつ』とよめり。此くのごとく、日々繰り返し繰り返してしめさるる天地の経文に、誠の道は明らかなり。掛かる[2]尊き天地の経文を外にして、書籍の上に道を求むる学者輩の論説は取らざるなり。能く能く目を開きて天地の経文を拝見し、之を誠にする[3]の道を尋ぬべきなり。
夫れ世界、横の平は水面を至れりとす。竪の直は垂針を至れりとす。凡そ此くのごとき万古動かぬ物あればこそ、地球の測量も出来るなれ。 是を外にして測量の術あらむや。 暦道の表を立てて景を測るの法、 算術の九々のごとき、 皆自然の規にして万古不易の物なり。此の物によりてこそ、天文も考ふべく、暦法をも算すべけれ。此の物を外にせば、いかなる智者といへども、 術を施すに方なからん。
夫れ我が道も又然り。天言はず。而して四時行はれ、百物成る処[4]の不書の経文、不言の教戒、則ち米を蒔けば米がはえ、麦を蒔けば麦の実法るがごとき、万古不易の道理により、誠の道に基づきて之を誠にするの勤めをなすべきなり。」
[1]
曽洞宗の開祖、道元(1200 - 1253)の詠んだ歌。
[2]
「掛」の字は原文まま。「斯かる」の意。
[3]
「之を誠にする」とは、『中庸章句』第二十章の「誠者天之道也誠之者人之道也」、第二十五章の「君子誠之為貴」を踏まえた表現。
[4]
「天言はず。而して四時行はれ、百物成る処」とは、『論語』陽貨篇の「天何言哉四時行焉百物生焉」を踏まえた表現。『孟子』萬章上篇にも「天不言」とある。
『二宮尊徳全集』第36巻を底本とした。ただし、次の方針に基づき、本サイトの管理人が独自に修訂を施してある。◆漢文以外は、すべて横書きに改めた。◆旧字体は、新字体に改めた。◆仮名遣いは原則として旧仮名遣いのままとしたが、現代的な文語文法に基づき、適宜修正した。(例:飢へ→飢ゑ、全ふ→全う)◆送り仮名、句読点、括弧、改行は、現代的な感覚に即して大幅に改めた。(例:譬ば→譬へば、曰……→曰はく、「……。」) ◆振り仮名は、推測に基づき、適宜施した。◆助動詞および助詞は、仮名に開いた。(例:也→なり、如し→ごとし)◆「ゝ」や「〱」は原則として元の仮名に戻し、「〻」は削った。◆漢文には適宜訓点を補った。
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