『二宮翁夜話』第1巻 第6章
翁曰はく天理と人道との差別を…
原文
翁曰はく、「天理と人道との差別[1]を、能く弁別する人少なし。
夫れ人身あれば欲あるは、則ち天理なり。田畑へ草の生ずるに同じ。堤は崩れ、堀は埋まり、橋は朽つる、是れ則ち天理なり。
然れば人道は、私欲を制するを道とし、田畑の草をさるを道とし、堤は築き立て、堀はさらひ、橋は掛け替ふるを以て道とす。
此くのごとく、天理と人道とは格別の物なるが故に、天理は万古変ぜず、人道は一日怠れば忽ちに廃す。されば人道は勤むるを以て尊しとし、自然に任ずるを尊ばず。
夫れ人道の勤むべきは、己に克つの教へなり。己は私欲なり。私欲は田畑に譬ふれば草なり。克つとは、此の田畑に生ずる草を取り捨つるを云ふ。己に克つは、我が心の田畑に生ずる草をけづり捨て、とり捨て、我が心の米麦を、繁茂さする勤めなり。是を人道といふ。論語に『己に克ちて礼に復る」とあるは此の勤めなり。」
夫れ人身あれば欲あるは、則ち天理なり。田畑へ草の生ずるに同じ。堤は崩れ、堀は埋まり、橋は朽つる、是れ則ち天理なり。
然れば人道は、私欲を制するを道とし、田畑の草をさるを道とし、堤は築き立て、堀はさらひ、橋は掛け替ふるを以て道とす。
此くのごとく、天理と人道とは格別の物なるが故に、天理は万古変ぜず、人道は一日怠れば忽ちに廃す。されば人道は勤むるを以て尊しとし、自然に任ずるを尊ばず。
夫れ人道の勤むべきは、己に克つの教へなり。己は私欲なり。私欲は田畑に譬ふれば草なり。克つとは、此の田畑に生ずる草を取り捨つるを云ふ。己に克つは、我が心の田畑に生ずる草をけづり捨て、とり捨て、我が心の米麦を、繁茂さする勤めなり。是を人道といふ。論語に『己に克ちて礼に復る」とあるは此の勤めなり。」
[1]
「差別」とは「区別」の意。
『二宮尊徳全集』第36巻を底本とした。ただし、次の方針に基づき、本サイトの管理人が独自に修訂を施してある。◆漢文以外は、すべて横書きに改めた。◆旧字体は、新字体に改めた。◆仮名遣いは原則として旧仮名遣いのままとしたが、現代的な文語文法に基づき、適宜修正した。(例:飢へ→飢ゑ、全ふ→全う)◆送り仮名、句読点、括弧、改行は、現代的な感覚に即して大幅に改めた。(例:譬ば→譬へば、曰……→曰はく、「……。」) ◆振り仮名は、推測に基づき、適宜施した。◆助動詞および助詞は、仮名に開いた。(例:也→なり、如し→ごとし)◆「ゝ」や「〱」は原則として元の仮名に戻し、「〻」は削った。◆漢文には適宜訓点を補った。
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