『二宮翁夜話』第1巻 第5章
翁曰はく夫れ人の賤しむ処の…
原文
翁曰はく、「夫れ人の賤しむ処の畜道は天理自然の道なり。尊む処の人道は天理に順ふといへども、又、作為の道にして自然にあらず。
如何となれば、雨にはぬれ、日には照られ、風には吹かれ、春は青艸を喰らひ、秋は木の実を喰らひ、有れば飽くまで喰らひ、無き時は喰らはずに居る。是れ自然の道にあらずして何ぞ。
居宅を作りて風雨を凌ぎ、蔵を作りて米粟を貯へ、衣服を製して寒暑を障へ、四時共に米を喰らふがごとき、是れ作為の道にあらずして何ぞ。自然の道にあらざる、明らかなり。
夫れ自然の道は万古廃れず、作為の道は怠れば廃る。
然るに、其の人作の道を、誤りて天理自然の道と思ふが故に、願ふ事成らず、思ふ事叶はず、終に我が世は憂世なりなどといふに至る。
夫れ人道は荒々たる原野の内、土地肥饒にして艸木茂生する処を田畑となし、是には草の生ぜぬ様にと願ひ、土性瘠薄にして艸木繁茂せざる地を秣場となして、此処には草の繁茂せん事を願ふがごとし。
是を以て、人道は作為の道にして、自然の道にあらず、遠く隔りたる所の理を見るべきなり。」
如何となれば、雨にはぬれ、日には照られ、風には吹かれ、春は青艸を喰らひ、秋は木の実を喰らひ、有れば飽くまで喰らひ、無き時は喰らはずに居る。是れ自然の道にあらずして何ぞ。
居宅を作りて風雨を凌ぎ、蔵を作りて米粟を貯へ、衣服を製して寒暑を障へ、四時共に米を喰らふがごとき、是れ作為の道にあらずして何ぞ。自然の道にあらざる、明らかなり。
夫れ自然の道は万古廃れず、作為の道は怠れば廃る。
然るに、其の人作の道を、誤りて天理自然の道と思ふが故に、願ふ事成らず、思ふ事叶はず、終に我が世は憂世なりなどといふに至る。
夫れ人道は荒々たる原野の内、土地肥饒にして艸木茂生する処を田畑となし、是には草の生ぜぬ様にと願ひ、土性瘠薄にして艸木繁茂せざる地を秣場となして、此処には草の繁茂せん事を願ふがごとし。
是を以て、人道は作為の道にして、自然の道にあらず、遠く隔りたる所の理を見るべきなり。」
『二宮尊徳全集』第36巻を底本とした。ただし、次の方針に基づき、本サイトの管理人が独自に修訂を施してある。◆漢文以外は、すべて横書きに改めた。◆旧字体は、新字体に改めた。◆仮名遣いは原則として旧仮名遣いのままとしたが、現代的な文語文法に基づき、適宜修正した。(例:飢へ→飢ゑ、全ふ→全う)◆送り仮名、句読点、括弧、改行は、現代的な感覚に即して大幅に改めた。(例:譬ば→譬へば、曰……→曰はく、「……。」) ◆振り仮名は、推測に基づき、適宜施した。◆助動詞および助詞は、仮名に開いた。(例:也→なり、如し→ごとし)◆「ゝ」や「〱」は原則として元の仮名に戻し、「〻」は削った。◆漢文には適宜訓点を補った。
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