『報徳記』第1巻 第2章
先生小田原の大夫服部某の一家を再復す
原文
二宮先生、已に孤となり、縁者万兵衛の為に養はる。時に年十六歳。万兵衛なるもの、性、甚だ吝にして慈愛の心薄し。故に先生の艱苦、極まれり。
或る時、先生、終日万兵衛の家業を勤め、夜に入り、寝ねずして夜学す。万兵衛、大いに怒り、罵りて曰はく、「我、汝を養ふに多分の雑費あり。汝、幼若の働きを以て何ぞ之を補ふに足らん。今又、之を思はずして夜学の為に灯油を費やす事、恩を知らざるものなり。汝、家もなく、田圃もなし。人の扶助を得て、以て命を繫ぐ身の、学問して何の用を為す。速やかに之を止めよ。」と激怒すること甚し。先生泣いて「過れり。」と云ひて之を謝す。天を仰ぎ、歎じて曰はく、「我、不幸にして父母を喪ひ、幼にして独立することあたはず。他人の家に養はれ、日を送るといへども、筆道、文学を心懸けずんば、一生文盲の人となり、父祖伝来の家を興すこと難かるべし。我、自力を以て学ぶ時は、其の怒りに触るること無かるべし。」と。是に於いて、川縁、無毛の地を起こし、油菜を蒔き、其の実り、七、八升を得たり。大いに悦び、これを市に鬻ぎ、灯油を求め、以て夜学す。万兵衛、又罵りて曰はく、「汝、自力の油を求め、夜学すれば、我が雑費には関せずといへども、汝、学びて何の用をかなすや。無益の事をなさんより、深夜に至るまで縄をなひ、我が家事を補ふべし。」と。是に於いて、先生、夜に入れば必ず綯をなひ、筵を織り、夜更け、人、寝ぬるに及びて、毎夜、窃かに灯火を点じ、衣を以て之を覆ひ、他に灯光の漏れざるやうになし、筆学、読書、鶏鳴に及びて止む。昼は山に登り、薪を樵り、柴を刈り、田に往きて耕耘し、又酒匂川普請の役に出でて力を尽くし、賃金を得れば里正に至り、之を託し、其の数、壱貫文に充つれば之を持し、村内、寡婦、年老い、身に便りなき極貧のもの、其の他、貧困のもの共へ、或いは二百銅、三百銅づつ、之を分かち与へ、暫時の苦を補ひ遣はし、聊か我が身の用とせず、此を以て艱苦中の楽しみとなせり。
某年、出水の為に用水堀流失し、堀筋変化し、古堀不用の地となるものあり。休日に之を開墾し、邑民の棄て苗を拾ひ集めて植ゑ付けしに、幸ひにして壱苞余りの実りを得たり。喜びて曰はく、「凡そ小を積みて大を致すは自然の道なり。是を以て父祖の家を興し、祖先の霊を安んぜんこと必せり。」と。僅々たる一苞を種として勤労し、増倍の道を設け、年を経るに及びて許多の数に満つ。是に於いて、数年養育の恩を謝し、家に帰り、家業を興さんことを請ふ。万兵衛悦びて其の意に任す。然して僅かに虚屋を存すと雖も、数年無住の故を以て大破に及び、蔓草、軒を蔽へり。先生、独り帰り、草を払ひ、破損を補理し、独居して日夜家業を励み、力を尽くして有余を生じ、其の田圃を償ふ。此くのごとく万苦を尽くして、廃家、漸く煙を挙ぐるに至れり。縁者、其の室[1]あらんことを勧めて止まず。先生、之を辞する事数年、是に於いて隣村某氏の女を娶れり。
時に小田原侯の大夫、服部十郎兵衛は、世禄千三百石、代々重役の家にして、一藩、之を敬す。而して家事、不如意に及び、借財、千有余金に及び、元利共に償ふこと能はず。百計、此の憂ひを除かんとすれども其の術を得ず。貧困の為に其の職を辞せんとす。或る人、之に告げて曰はく、「栢山村、金次郎なる者、極貧の家に生まれ、早く父母に離れ、家産悉く他人の有となり、縁者の救助を以て人[2]となり、千辛万苦を尽くし、僅かに米壱苞を作り出だせしより、之を種として終に廃家を再興せり。加之、幼若の時より他人を憐み、身の艱苦を憂ひざるの所行、天性、不凡の質にして常人の及ぶ所にあらず。子、此のものを頼み、厚く之を遇し、一家の再復を任せば、彼、必ず其の義に感じ、心力を尽くして子の家を興さんこと、彼れの掌中にあらん。」と。服部氏、大に悦び、速やかに人をして厚く之を依頼せしむ。先生固辞して曰はく、「是れ容易の事にあらず。我、農夫にして農力を尽くし、廃家を興せるは素より農夫の道を勤めたるが故なり。今、服部君、世禄、一藩に冠たり。然して此の借財を生じ、士の家を治むるの道を失ひたる為にあらずや。農夫にして士の家を興す、豈に我が知る所ならんや。子、我が為に之を辞せよ。」と云ひて肯ぜず。服部子、益其の賢なることを察し、他事なく信義を尽くし、依頼する事、再三再四に及べり。先生、慨然として曰はく、「服部氏は我が領主の重臣なり。今、艱難の為に職を退き、其の家も亦廃衰に及ばん。興廃ともに我一人を期し、節を屈し、其の道を尽くして我に依頼す。我、之を救はずんば、彼、必ず廃せん。彼、廃する時は、君、亦必ず之を憂ひたまふ。事、豈に浅々ならんや。然らば則ち服部一家の不幸のみに非ず。今、我、国の為に其の急を救はざるべからず」と。妻に云ひて曰はく、「服部氏の依頼、已に迫れり。汝の知る所なり。我、今より彼の家に至り、これが為に力を尽くさん。汝、定めて当惑ならんか。我が為に家を守り、家事を勤めよ。我、五年にして彼の憂ひを除き、之を安堵せしめて家に帰らん。」と。妻、涕を流して曰はく、「命を聞けり。」と。
是に於いて、先生、服部氏に至り、「君の艱苦を除かん事、必ず五年の内にあり。然れども、内外、皆某に任じたまはば可なり。聊かたりとも君の存意を加ふる時は必ず微志を遂ぐることを得ず。然らば今日より辞するにしかざるなり。」と。服部氏、悦びて曰はく、「余、不才にして一家を安んずることあたはず。衰弊、爰に至れり。術尽き、思慮尽きて、以て子に依頼す。何ぞ我が愚意を加へんや。興廃共に子の一身にあり。子、十分に改革せよ。我は唯だ子の丹精を仰ぐのみなり。」と云ふ。先生曰はく、「禄、千石余りにして、千両余りの負債あり。是れ世禄の名有りと雖も、其の実は已に他人の有となれり。大夫の勢力を以て之を返さず。今日を送るが故に、此の家、此の禄を以て我が物なりと思ふ事、豈に浅ましからずや。上、君恩の無量なることを知り、常に節倹を守り、家を存して永く君恩を報ずるの忠勤あるを以て臣下の道と為すべし。然るに身の奢侈に流るるをも知らず、不足を生ずと雖も、猶ほ其の本を顧みず、他人の財を借りて之を補ひ、元利増倍、一家廃滅の大患を慮らず。終に家を破り、君恩を失ふに至る。豈に之を忠義の臣と謂はんや。」服部氏、伏して以て其の罪を謝す。先生曰はく、「子、今、其の過ちを知れり。然らば其の過ちを補はんことを勤むべし。其の事、何ぞや。必ず其の身を責むべし。其の身を責むること何ぞ。食は必ず飯、汁に限り、衣は必ず綿衣に限るべし。必ず無用の事を好むべからず。此の三箇条を守るべきや否や。」曰はく、「是れ我が甘んずる所なり。此くのごとくして家を興すの道有らば、何の幸ひか之に如かんや。」是に於いて先生、其の家の僕婢を呼びて曰はく、「主君の家事、既に貧困に及び、負債、千余金に至れり。是れ汝等の明らかに知る所なり。此くのごとくにして三、五年を経ば、主家、将に覆らんとす。汝等、若し無事永続の道を知らば、夫れ明らかに予に告げよ。」皆曰はく、「是れ鄙人の知る所にあらず。願はくは子、それ之を計れ。」先生曰はく、「汝、主家の無事を願ひ、予一人に計を請ふ。其の忠志、賞すべし。以来、主君、自ら思慮を加へず。五年間の家事を我に任せり。汝等も我が指揮に随ひ、異存あるべからず。我と共に主家の安堵を願ひ勤むべきや。若し異存あらば、今速やかに暇を請ふべし。」と。僕婢曰はく、「主家に仕ること已に年あり。今、其の危さを見て退くこと、我等が願ひにあらず。子、一身を労して主家を安んぜんとす。何ぞ其の命に随はざらんや。」先生、此に於いて、其の入る物を量り、分度を引き去り、中分の活計を立て、無用の雑費を省き、周年の用度を制し、借財の貸者を呼びて実情を説諭し、これを償ふに五年を約し、自ら奴婢に代はりて家事を勤め、服部氏出づれば若党となり、毎夜家を治め、国を治むるの道を説きて、以て服部氏に教ふ。期年にして借財減じ、五年にして千余金の積借、皆洗ひ尽くし、残金三百両を余せり。一家の悦び、譬ふるに物なし。
先生、此の三百両を持ちて服部夫妻に告げて曰はく、「五年前、子の依頼を辞し難く、其の請に応ぜしより今日に至るまで昼夜心を尽くし、已に積借皆済、余金三百を残せり。畢竟、予に任ずる事、固きが故に、此の困難を除きたり。依りて百金は君の手元へ備へ、別物として、非常の時、国君へ奉仕の用となせ。又百金は、婦君、是まで艱苦を尽くし、夫家の再興を勤められたる賞として婦君に与へたまへ。婦君も亦此を別途に備へ、家の再び衰へざるの予備となせ。猶ほ百金を余せり。是は子の志す所の用に充てよ」と。服部氏、大いに歎称して曰はく、「我が家、已に将に顚覆せんとす。子の丹誠に依りて今、全く再復せり。何を以て其の恩を謝せんか。未だ其の処する所を得ず。此の余金は我が金にあらず。子の丹誠に出づる所なり。残らず謝恩に充てんと欲すと雖も、子、今、我が夫妻に別かちて後来の事を教ふ。又辞すべからず。責めて此の百金は、子、之を受けて家業の一助とせよ。子、家に在り、業を励まば、許多の富優をなさんに、五年家事を抛ち、我を危急に救ひ、永安を得せしむ[3]。此の百金、何ぞ謝するに足らんや」と。先生大いに悦びて曰はく、「子の言、此くのごとし。速やかに貴意に随ひ、之を受けん。且つ一旦の憂ひは除きたりと雖も、後年の定則なくんば又艱難に至るべし。予め之を憂ひ、永年の分量を調べ置きたり。以来、千石を以て永年の分限と定め、三百石を以て余外となし、別途に備へ、非常の奉仕の用に充てば、此の家、有らん限りは君公への忠義は言ふに及ばず。一家の貧窮を生ずることあるべからず。子、夫を守れ。」言ひ畢はりて退き、奴婢を呼びて曰はく、「主家の危迫、已に極まり、予に託して之を再復せしむ。汝等、五年の間、約を差へず、我と共に艱苦を尽くせり。賞するに余りあり。千金余りの借債、今、已に皆済せり。猶ほ百金を余せり。主人、予が愚誠を賞して之を与ふ。其の志、辞すべからず。予、五年の間、勤むる所、一身の為に非ず。何ぞ其の報いを受けんや。汝等の勤苦を賞し、之を分かち与へん。是れ我が与ふるにあらず。主人の賜なり。謹みて之を受けよ」と、百金を分かちて之を与ふ。奴婢、一度は驚き、一度は悦び、主人の恩を感ずること深く、且つ先生の慈心限りなきを感動せり。先生、服部氏に辞して一物をも受けず。飄然として家に帰れり。其の所行、往々斯くのごとし。
或る時、先生、終日万兵衛の家業を勤め、夜に入り、寝ねずして夜学す。万兵衛、大いに怒り、罵りて曰はく、「我、汝を養ふに多分の雑費あり。汝、幼若の働きを以て何ぞ之を補ふに足らん。今又、之を思はずして夜学の為に灯油を費やす事、恩を知らざるものなり。汝、家もなく、田圃もなし。人の扶助を得て、以て命を繫ぐ身の、学問して何の用を為す。速やかに之を止めよ。」と激怒すること甚し。先生泣いて「過れり。」と云ひて之を謝す。天を仰ぎ、歎じて曰はく、「我、不幸にして父母を喪ひ、幼にして独立することあたはず。他人の家に養はれ、日を送るといへども、筆道、文学を心懸けずんば、一生文盲の人となり、父祖伝来の家を興すこと難かるべし。我、自力を以て学ぶ時は、其の怒りに触るること無かるべし。」と。是に於いて、川縁、無毛の地を起こし、油菜を蒔き、其の実り、七、八升を得たり。大いに悦び、これを市に鬻ぎ、灯油を求め、以て夜学す。万兵衛、又罵りて曰はく、「汝、自力の油を求め、夜学すれば、我が雑費には関せずといへども、汝、学びて何の用をかなすや。無益の事をなさんより、深夜に至るまで縄をなひ、我が家事を補ふべし。」と。是に於いて、先生、夜に入れば必ず綯をなひ、筵を織り、夜更け、人、寝ぬるに及びて、毎夜、窃かに灯火を点じ、衣を以て之を覆ひ、他に灯光の漏れざるやうになし、筆学、読書、鶏鳴に及びて止む。昼は山に登り、薪を樵り、柴を刈り、田に往きて耕耘し、又酒匂川普請の役に出でて力を尽くし、賃金を得れば里正に至り、之を託し、其の数、壱貫文に充つれば之を持し、村内、寡婦、年老い、身に便りなき極貧のもの、其の他、貧困のもの共へ、或いは二百銅、三百銅づつ、之を分かち与へ、暫時の苦を補ひ遣はし、聊か我が身の用とせず、此を以て艱苦中の楽しみとなせり。
某年、出水の為に用水堀流失し、堀筋変化し、古堀不用の地となるものあり。休日に之を開墾し、邑民の棄て苗を拾ひ集めて植ゑ付けしに、幸ひにして壱苞余りの実りを得たり。喜びて曰はく、「凡そ小を積みて大を致すは自然の道なり。是を以て父祖の家を興し、祖先の霊を安んぜんこと必せり。」と。僅々たる一苞を種として勤労し、増倍の道を設け、年を経るに及びて許多の数に満つ。是に於いて、数年養育の恩を謝し、家に帰り、家業を興さんことを請ふ。万兵衛悦びて其の意に任す。然して僅かに虚屋を存すと雖も、数年無住の故を以て大破に及び、蔓草、軒を蔽へり。先生、独り帰り、草を払ひ、破損を補理し、独居して日夜家業を励み、力を尽くして有余を生じ、其の田圃を償ふ。此くのごとく万苦を尽くして、廃家、漸く煙を挙ぐるに至れり。縁者、其の室[1]あらんことを勧めて止まず。先生、之を辞する事数年、是に於いて隣村某氏の女を娶れり。
時に小田原侯の大夫、服部十郎兵衛は、世禄千三百石、代々重役の家にして、一藩、之を敬す。而して家事、不如意に及び、借財、千有余金に及び、元利共に償ふこと能はず。百計、此の憂ひを除かんとすれども其の術を得ず。貧困の為に其の職を辞せんとす。或る人、之に告げて曰はく、「栢山村、金次郎なる者、極貧の家に生まれ、早く父母に離れ、家産悉く他人の有となり、縁者の救助を以て人[2]となり、千辛万苦を尽くし、僅かに米壱苞を作り出だせしより、之を種として終に廃家を再興せり。加之、幼若の時より他人を憐み、身の艱苦を憂ひざるの所行、天性、不凡の質にして常人の及ぶ所にあらず。子、此のものを頼み、厚く之を遇し、一家の再復を任せば、彼、必ず其の義に感じ、心力を尽くして子の家を興さんこと、彼れの掌中にあらん。」と。服部氏、大に悦び、速やかに人をして厚く之を依頼せしむ。先生固辞して曰はく、「是れ容易の事にあらず。我、農夫にして農力を尽くし、廃家を興せるは素より農夫の道を勤めたるが故なり。今、服部君、世禄、一藩に冠たり。然して此の借財を生じ、士の家を治むるの道を失ひたる為にあらずや。農夫にして士の家を興す、豈に我が知る所ならんや。子、我が為に之を辞せよ。」と云ひて肯ぜず。服部子、益其の賢なることを察し、他事なく信義を尽くし、依頼する事、再三再四に及べり。先生、慨然として曰はく、「服部氏は我が領主の重臣なり。今、艱難の為に職を退き、其の家も亦廃衰に及ばん。興廃ともに我一人を期し、節を屈し、其の道を尽くして我に依頼す。我、之を救はずんば、彼、必ず廃せん。彼、廃する時は、君、亦必ず之を憂ひたまふ。事、豈に浅々ならんや。然らば則ち服部一家の不幸のみに非ず。今、我、国の為に其の急を救はざるべからず」と。妻に云ひて曰はく、「服部氏の依頼、已に迫れり。汝の知る所なり。我、今より彼の家に至り、これが為に力を尽くさん。汝、定めて当惑ならんか。我が為に家を守り、家事を勤めよ。我、五年にして彼の憂ひを除き、之を安堵せしめて家に帰らん。」と。妻、涕を流して曰はく、「命を聞けり。」と。
是に於いて、先生、服部氏に至り、「君の艱苦を除かん事、必ず五年の内にあり。然れども、内外、皆某に任じたまはば可なり。聊かたりとも君の存意を加ふる時は必ず微志を遂ぐることを得ず。然らば今日より辞するにしかざるなり。」と。服部氏、悦びて曰はく、「余、不才にして一家を安んずることあたはず。衰弊、爰に至れり。術尽き、思慮尽きて、以て子に依頼す。何ぞ我が愚意を加へんや。興廃共に子の一身にあり。子、十分に改革せよ。我は唯だ子の丹精を仰ぐのみなり。」と云ふ。先生曰はく、「禄、千石余りにして、千両余りの負債あり。是れ世禄の名有りと雖も、其の実は已に他人の有となれり。大夫の勢力を以て之を返さず。今日を送るが故に、此の家、此の禄を以て我が物なりと思ふ事、豈に浅ましからずや。上、君恩の無量なることを知り、常に節倹を守り、家を存して永く君恩を報ずるの忠勤あるを以て臣下の道と為すべし。然るに身の奢侈に流るるをも知らず、不足を生ずと雖も、猶ほ其の本を顧みず、他人の財を借りて之を補ひ、元利増倍、一家廃滅の大患を慮らず。終に家を破り、君恩を失ふに至る。豈に之を忠義の臣と謂はんや。」服部氏、伏して以て其の罪を謝す。先生曰はく、「子、今、其の過ちを知れり。然らば其の過ちを補はんことを勤むべし。其の事、何ぞや。必ず其の身を責むべし。其の身を責むること何ぞ。食は必ず飯、汁に限り、衣は必ず綿衣に限るべし。必ず無用の事を好むべからず。此の三箇条を守るべきや否や。」曰はく、「是れ我が甘んずる所なり。此くのごとくして家を興すの道有らば、何の幸ひか之に如かんや。」是に於いて先生、其の家の僕婢を呼びて曰はく、「主君の家事、既に貧困に及び、負債、千余金に至れり。是れ汝等の明らかに知る所なり。此くのごとくにして三、五年を経ば、主家、将に覆らんとす。汝等、若し無事永続の道を知らば、夫れ明らかに予に告げよ。」皆曰はく、「是れ鄙人の知る所にあらず。願はくは子、それ之を計れ。」先生曰はく、「汝、主家の無事を願ひ、予一人に計を請ふ。其の忠志、賞すべし。以来、主君、自ら思慮を加へず。五年間の家事を我に任せり。汝等も我が指揮に随ひ、異存あるべからず。我と共に主家の安堵を願ひ勤むべきや。若し異存あらば、今速やかに暇を請ふべし。」と。僕婢曰はく、「主家に仕ること已に年あり。今、其の危さを見て退くこと、我等が願ひにあらず。子、一身を労して主家を安んぜんとす。何ぞ其の命に随はざらんや。」先生、此に於いて、其の入る物を量り、分度を引き去り、中分の活計を立て、無用の雑費を省き、周年の用度を制し、借財の貸者を呼びて実情を説諭し、これを償ふに五年を約し、自ら奴婢に代はりて家事を勤め、服部氏出づれば若党となり、毎夜家を治め、国を治むるの道を説きて、以て服部氏に教ふ。期年にして借財減じ、五年にして千余金の積借、皆洗ひ尽くし、残金三百両を余せり。一家の悦び、譬ふるに物なし。
先生、此の三百両を持ちて服部夫妻に告げて曰はく、「五年前、子の依頼を辞し難く、其の請に応ぜしより今日に至るまで昼夜心を尽くし、已に積借皆済、余金三百を残せり。畢竟、予に任ずる事、固きが故に、此の困難を除きたり。依りて百金は君の手元へ備へ、別物として、非常の時、国君へ奉仕の用となせ。又百金は、婦君、是まで艱苦を尽くし、夫家の再興を勤められたる賞として婦君に与へたまへ。婦君も亦此を別途に備へ、家の再び衰へざるの予備となせ。猶ほ百金を余せり。是は子の志す所の用に充てよ」と。服部氏、大いに歎称して曰はく、「我が家、已に将に顚覆せんとす。子の丹誠に依りて今、全く再復せり。何を以て其の恩を謝せんか。未だ其の処する所を得ず。此の余金は我が金にあらず。子の丹誠に出づる所なり。残らず謝恩に充てんと欲すと雖も、子、今、我が夫妻に別かちて後来の事を教ふ。又辞すべからず。責めて此の百金は、子、之を受けて家業の一助とせよ。子、家に在り、業を励まば、許多の富優をなさんに、五年家事を抛ち、我を危急に救ひ、永安を得せしむ[3]。此の百金、何ぞ謝するに足らんや」と。先生大いに悦びて曰はく、「子の言、此くのごとし。速やかに貴意に随ひ、之を受けん。且つ一旦の憂ひは除きたりと雖も、後年の定則なくんば又艱難に至るべし。予め之を憂ひ、永年の分量を調べ置きたり。以来、千石を以て永年の分限と定め、三百石を以て余外となし、別途に備へ、非常の奉仕の用に充てば、此の家、有らん限りは君公への忠義は言ふに及ばず。一家の貧窮を生ずることあるべからず。子、夫を守れ。」言ひ畢はりて退き、奴婢を呼びて曰はく、「主家の危迫、已に極まり、予に託して之を再復せしむ。汝等、五年の間、約を差へず、我と共に艱苦を尽くせり。賞するに余りあり。千金余りの借債、今、已に皆済せり。猶ほ百金を余せり。主人、予が愚誠を賞して之を与ふ。其の志、辞すべからず。予、五年の間、勤むる所、一身の為に非ず。何ぞ其の報いを受けんや。汝等の勤苦を賞し、之を分かち与へん。是れ我が与ふるにあらず。主人の賜なり。謹みて之を受けよ」と、百金を分かちて之を与ふ。奴婢、一度は驚き、一度は悦び、主人の恩を感ずること深く、且つ先生の慈心限りなきを感動せり。先生、服部氏に辞して一物をも受けず。飄然として家に帰れり。其の所行、往々斯くのごとし。
[1]
「室」は「妻」の意。
[2]
「人」は「成人」の意。
[3]
「得せしむ」は原文まま。「得しむ」の意。
『二宮尊徳全集』第36巻を底本とした。ただし、次の方針に基づき、本サイトの管理人が独自に修訂を施してある。◆漢文以外は、すべて横書きに改めた。◆旧字体は、新字体に改めた。◆仮名遣いは原則として旧仮名遣いのままとしたが、現代的な文語文法に基づき、適宜修正した。(例:飢へ→飢ゑ、全ふ→全う)◆送り仮名、句読点、括弧、改行は、現代的な感覚に即して大幅に改めた。(例:譬ば→譬へば、曰……→曰はく、「……。」) ◆振り仮名は、推測に基づき、適宜施した。◆助動詞および助詞は、仮名に開いた。(例:也→なり、如し→ごとし)◆「ゝ」や「〱」は原則として元の仮名に戻し、「〻」は削った。◆漢文には適宜訓点を補った。
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