『報徳記』第1巻 第4章
先生小田原侯の委任を受け野州桜町に至る
原文
先生、既に小田原侯の委任を受けしより、倩思惟するに、「桜町釆邑の廃衰、殆ど亡村に等し。風俗頽敗、奸侫邪曲の民多し。故に如何なる知略の者と雖も、容易に之を化することあたはず。昔者、大禹の有苗を征するに、武略知計を以てせずして、唯だ至誠、之を感ず。一つの誠心、以て我が身命を拠ち、此の民を支援せんに、何ぞ再開せざることあらんや。然して憂ふべきもの、斯に一つあり。予、極貧の家に生まれ、孤となり、一家の廃亡を興し、父母祖先の霊を安んぜんと欲し、日となく夜となく心力を尽くし、其の始め、一苞の米を種として遂に廃家を挙げ、祖先の田圃を復し、聊か追孝の道を立つるに至れり。豈に図らんや、君公の知を受け、宇津家の釆邑を旧復せよとの命を蒙らんとは。今、忠を尽くさんとすれば必ず此の家を破り、不孝に陥らんか、孝を全くせんとせば、君命を廃し、忠義を全くすること能はず。古今、二つながら全くするの難きを憂ふること、宜なるかな。」と、胸間を撫して黙慮すること、良久し。幡然として曰はく、「嗚呼、何をか憂ひ、何をか惑はん。元来、忠、孝、一道にして二道あるにあらず。人、至孝なる時は、忠、自づから其の中にあり。至忠なる時は、孝も亦其の中に存せり。君命を得ざる時は一家を興し、祖先の祭祀を永く存するを以て孝とせり。一度君の知を得て百姓を安ずるの命を受くるに至りては、此の民を安ずるを以て孝とせん。若し仁君の命を廃し、仮令億万の財を積み、一家の繁栄を以て十分の祭祀を尽くすといへども、父祖の霊、必ず不孝の子となさんこと明らかなり。僅々たる一家を廃し、万民の疾苦を除き、上、君の心を安んじ、下、百姓の経営を安んぜば、父祖の本懐、何事か之に如かんや。一家を全くせんとする時は万家を廃し、万家を全くせんとして一家を廃す。豈に是れ同日の論ならん。我が心、既に決せり。」と。直ちに祖先の墓へ詣り、合掌して告ぐるに前言を以てし、家に帰り、妻に謂ひて曰はく、「今、明君、上に在して予が不肖を棄てず、命ずるに、廃邑を興し、衆民を安んずる事を以てす。之を辞する事、既に三年に及ぶといへども、君、之を許したまはず。止む事を得ずして其の命を受けたり。此くのごとき大業、平常の行ひを以て成就すべきに非ず。故に一家を廃し、相続の道を捨て、身命を抛ち、勉励せんとす。然れども是れ婦女子の解する所にあらず。予と共に千辛万苦を尽くし、君命を辱しめざることを思はば、共に野州に赴かん。若し平常の心を懐き、艱苦を厭ふの心あらば、今、速やかに去るべし。」と。妻曰はく、「異なるかな、良人の言や。夫れ女子、一度嫁する時は二度帰るの道なし。是を以て、世々、嫁を謂ひて帰となすにあらずや。生家を一歩出づる時に当たりて、妾の心、已に決せり。良人、水火を蹈まば、共に蹈まん。況んや良人、君命を受け、大業を成さんとす。是れ卑人の幸ひに非ずや。身を捨て、艱苦を甘んずることは何ぞ云ふに足らん。栄利に趨り、身の安逸を願ふは、君命なしといへども欲せざる所なり。良人、必ず労すること勿れ。共に与に野州に赴かん。」と云ふ。先生、笑ひて曰はく、「汝の言、是なり。」
此に於いて、悉く田圃、器財を沽却して若干の価を得たり。一子を弥太郎と云ふ。今年、僅かに三歳。之を携へ、故郷を去り、東海道より江都に出で、道程五十里、数日にして野州芳賀郡桜町に到着せり。于時文政五(午)年なり。始めて至るの日、物井邑を去ること一里余りにして谷田貝駅あり。里正某なるもの、両、三輩、同駅に迎へ、地に跪き、声を柔らげ、色を悦ばしくし、先生に謂ひて曰はく、「君、小田原侯より委任の命を受けたまひ、弊村の民を安撫せんとして、遙かに此の地に来たりたまふと聞き、邑民の悦び、嬰児の父母に見ゆるがごとし。因りて某等、昔日より此に出でて君を待つこと久し。遠路の行歩、其の労疲、察すべし。爾来、只願ふ所は慈愛を蒙らんのみ。今、聊か其の労を慰せんが為に少しく酒肴を設けたり。」と云ふ。先生欣然として曰はく、「汝等の厚意、謝するに余りあり。君命、黙止し難く、不肖を顧みず、此の地に臨めり。早く桜町に到らんとするの心のみにして途中の遅々を憂ふ。汝、労すること勿れ。」と直ちに谷田貝を過ぎて桜町に到る。
或人問ひて曰はく、「彼の里正、遙かに迎へて子の労を慰せり。懇志、至れりといふべし。然るに子の彼を遇するの麁なるは何ぞや。」先生曰はく、「凡そ侫を以て先んずるものは、必ず奸人なり。実直清潔のものは、呼ぶといへども輙く来たらず。彼等は上を欺き、下を貪り、私曲を逞くする所の奸人なり。予の到るを聞き、其の罪の顕はれんことを恐れ、表に実意を餝りて人を欺き、裏に私意を働かんとの巧らみなり。君命を受け、此の土に来たる者数人、皆彼等の侫奸に欺かれ、之を第一の善人と思ひ到るの日より、万事、之と共に謀れり。是の故に事は益破れ、善人は之を怨み、悪人は私曲を専らにす。何を以て衰廃を興すことを得んや。予は彼の表飾を取らずして彼の腹心を察せり。敢へて彼を退くるにもあらず、又彼の術中に陥らず、善悪を明弁して善を挙げ、不能を憐むの政を布かんとす。」と。或人、大いに先生の明鑑を感じぬ。
此に於いて、悉く田圃、器財を沽却して若干の価を得たり。一子を弥太郎と云ふ。今年、僅かに三歳。之を携へ、故郷を去り、東海道より江都に出で、道程五十里、数日にして野州芳賀郡桜町に到着せり。于時文政五(午)年なり。始めて至るの日、物井邑を去ること一里余りにして谷田貝駅あり。里正某なるもの、両、三輩、同駅に迎へ、地に跪き、声を柔らげ、色を悦ばしくし、先生に謂ひて曰はく、「君、小田原侯より委任の命を受けたまひ、弊村の民を安撫せんとして、遙かに此の地に来たりたまふと聞き、邑民の悦び、嬰児の父母に見ゆるがごとし。因りて某等、昔日より此に出でて君を待つこと久し。遠路の行歩、其の労疲、察すべし。爾来、只願ふ所は慈愛を蒙らんのみ。今、聊か其の労を慰せんが為に少しく酒肴を設けたり。」と云ふ。先生欣然として曰はく、「汝等の厚意、謝するに余りあり。君命、黙止し難く、不肖を顧みず、此の地に臨めり。早く桜町に到らんとするの心のみにして途中の遅々を憂ふ。汝、労すること勿れ。」と直ちに谷田貝を過ぎて桜町に到る。
或人問ひて曰はく、「彼の里正、遙かに迎へて子の労を慰せり。懇志、至れりといふべし。然るに子の彼を遇するの麁なるは何ぞや。」先生曰はく、「凡そ侫を以て先んずるものは、必ず奸人なり。実直清潔のものは、呼ぶといへども輙く来たらず。彼等は上を欺き、下を貪り、私曲を逞くする所の奸人なり。予の到るを聞き、其の罪の顕はれんことを恐れ、表に実意を餝りて人を欺き、裏に私意を働かんとの巧らみなり。君命を受け、此の土に来たる者数人、皆彼等の侫奸に欺かれ、之を第一の善人と思ひ到るの日より、万事、之と共に謀れり。是の故に事は益破れ、善人は之を怨み、悪人は私曲を専らにす。何を以て衰廃を興すことを得んや。予は彼の表飾を取らずして彼の腹心を察せり。敢へて彼を退くるにもあらず、又彼の術中に陥らず、善悪を明弁して善を挙げ、不能を憐むの政を布かんとす。」と。或人、大いに先生の明鑑を感じぬ。
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