『報徳記』第2巻 第5章
三邑十有余年にして全く興復す
原文
先生、野州に至るより千慮百計、興復安民の良法を布き、或は廃地を挙げ、或は絶家を起し、窮民を救ひ、家屋を与へ、衣食、農具、器財を施し、善人を賞するに阜太の財[註1]を以てし、直を挙げて枉れるを錯き[註2]、悪人、不直のもの、自然に己が非を改め、善行を踏ましめ、教ふるに人道を以てし、導くに勤農を以てす。処置、各其の至当を得、終に民戸を増し、農力大いに勧み、荒蕪数百町を開き、往昔四百有余の家数を以て稼穡せし田圃、今は民力の勉励に由り、半数に満たざる戸数を以て耕作し、猶ほ田圃の少なきを憂ふるに至り、旧来の艱苦を免れ、始めて心を安んじ、其の業を楽しむことを得たり。人心、大いに和らぎ、人の憂ひを聞けば共に憂ひ、人の幸ひを聞けば共に悦び、憐恕の心、発動して頗る人倫の道を弁へ、家々親しみ、人々和睦せり。始め、良法開業以来、之を破らんとするの妨害百端、七年の間、尺を進む時は尋を退くが如く[註3]、成功何れの時にか来らんと、心労限りなかりしに、至誠の感ずる所、鬼神の助くる所、八年に及びて、民心一変、大いに旧染の汚俗を灑ぎ、淳朴実直の風に化し、三、四年の間に此の如きの功業成れりと云へり。是に於いて、先生、百姓永続の道を計り、往古の盛時に当たり、四千石の貢税、三千余苞を出せり。是れ薄地の貢に其の度を越えたり。是を以て此の衰極に至れるを察し、田圃の位に応じ、其の出粟の多少を試み、相当自然の租税を定め、七分免の貢税となし、二千苞を以て定額とし、宇津家の分度を確立せり。是れ、其の初め、小田原侯の命令を受くるの時に当たり、土地自然の貢税を前知して言上せし員数なり。人々、其の明知、始めに終はりを計ることの了然たるを驚感せり。宇津家、倍数の貢を得て、大いに悦び、邑民も亦、往昔の貢税千苞余を減じたる莫大の仁恵に感動し、益耕耘に力を尽くし、家々足り、人々給せるに至れり。先生積年の丹誠により、三邑、衰貧を免れ、里に破壊の家屋なく、田に草莽の残れるなく、五穀繁生、経界正しく、道路砥の如く、水路の浅深、其の宜しきを得たり。他邦の旅人、此の邑に至れば、粲然たる観美に驚き、「野常[註4]に類ひなき富優の善地なり」と称せり。功績、四方に轟き、他境の人民、皆、之に法り、又、衰邑再興の仕法を請ふもの、其の数を知らず。隣国の諸侯も亦、礼節を厚くして領中再興の道を求めたまふ。先生、元より其の任にあらず、且つ暇あらざるを以て之を固辞せり。
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