『二宮翁夜話』第1巻 第10章
翁曰はく親の子における…
原文
翁曰はく、「親の子における、農の田畑に於ける、我が道に同じ。親の、子を育つる、無頼となるといへども、養育料を如何せん。農の、田を作る、凶歳なれば肥やし代も仕付け料も皆損なり。夫れ此の道を行はんと欲する者は、此の理を弁ふべし。
吾、始めて小田原より下野の物井の陣屋に至る、己が家を潰して、四千石の興復一途に身を委ねたり。是れ則ち此の道理に基づけるなり。
夫れ釈氏は、生者必滅の理を悟り、此の理を拡充して自ら家を捨て、妻子を捨て、今日のごとき道を弘めたり。只此の一理を悟るのみ。夫れ人、生れ出でたる以上は、死する事のあるは必定なり。長生きといへども、百年を越ゆるは稀なり。限りのしれたる事なり。夭と云ふも、寿と云ふも、実は毛弗の論なり。譬へば蝋燭に大、中、小あるに同じ。大蝋といへども火の付きたる以上は、四時間か五時間なるべし。然れば『人と生れ出たるうへは、必ず死する物』と覚悟する時は、一日活くれば則ち一日の儲け、一年活くれば一年の益なり。故に本来、我が身もなき物、我が家もなき物と覚悟すれば、跡は百事百般、皆儲けなり。
予が歌に、『かりの身を元のあるじに貸し渡し民安かれと願ふ此の身ぞ』。夫れ此の世は、我、人、ともに僅かの間の仮の世なれば、此の身は、かりの身なる事、明らかなり。元のあるじとは、天を云ふ。このかりの身を我が身と思はず、生涯一途に、世のため、人のためのみを思ひ、国のため、天下の為に益ある事のみを勤め、一人たりとも、一家たりとも、一村たりとも、困窮を免れ、富有になり、土地開け、道、橋、整ひ、安穏に渡世の出来るやうにと、夫れのみを日々の勤めとし、朝夕、願ひ、祈りて、おこたらざる我が此の身であるといふ心にてよめるなり。是れ我が畢生の覚悟なり。我が道を行はんと思ふ者は、しらずんばあるべからず。」
吾、始めて小田原より下野の物井の陣屋に至る、己が家を潰して、四千石の興復一途に身を委ねたり。是れ則ち此の道理に基づけるなり。
夫れ釈氏は、生者必滅の理を悟り、此の理を拡充して自ら家を捨て、妻子を捨て、今日のごとき道を弘めたり。只此の一理を悟るのみ。夫れ人、生れ出でたる以上は、死する事のあるは必定なり。長生きといへども、百年を越ゆるは稀なり。限りのしれたる事なり。夭と云ふも、寿と云ふも、実は毛弗の論なり。譬へば蝋燭に大、中、小あるに同じ。大蝋といへども火の付きたる以上は、四時間か五時間なるべし。然れば『人と生れ出たるうへは、必ず死する物』と覚悟する時は、一日活くれば則ち一日の儲け、一年活くれば一年の益なり。故に本来、我が身もなき物、我が家もなき物と覚悟すれば、跡は百事百般、皆儲けなり。
予が歌に、『かりの身を元のあるじに貸し渡し民安かれと願ふ此の身ぞ』。夫れ此の世は、我、人、ともに僅かの間の仮の世なれば、此の身は、かりの身なる事、明らかなり。元のあるじとは、天を云ふ。このかりの身を我が身と思はず、生涯一途に、世のため、人のためのみを思ひ、国のため、天下の為に益ある事のみを勤め、一人たりとも、一家たりとも、一村たりとも、困窮を免れ、富有になり、土地開け、道、橋、整ひ、安穏に渡世の出来るやうにと、夫れのみを日々の勤めとし、朝夕、願ひ、祈りて、おこたらざる我が此の身であるといふ心にてよめるなり。是れ我が畢生の覚悟なり。我が道を行はんと思ふ者は、しらずんばあるべからず。」
『二宮尊徳全集』第36巻を底本とした。ただし、次の方針に基づき、本サイトの管理人が独自に修訂を施してある。◆漢文以外は、すべて横書きに改めた。◆旧字体は、新字体に改めた。◆仮名遣いは原則として旧仮名遣いのままとしたが、現代的な文語文法に基づき、適宜修正した。(例:飢へ→飢ゑ、全ふ→全う)◆送り仮名、句読点、括弧、改行は、現代的な感覚に即して大幅に改めた。(例:譬ば→譬へば、曰……→曰はく、「……。」) ◆振り仮名は、推測に基づき、適宜施した。◆助動詞および助詞は、仮名に開いた。(例:也→なり、如し→ごとし)◆「ゝ」や「〱」は原則として元の仮名に戻し、「〻」は削った。◆漢文には適宜訓点を補った。
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