『二宮翁夜話』第1巻 第11章
儒学者あり曰はく孟子は易し…
原文
儒学者あり。曰はく、「『孟子』は易し。『中庸』は難し。」と。
翁曰はく、「予、文字上の事はしらずといへども、是を実地、正業に移して考ふる時は、『孟子』は難し。『中庸』は易し。いかんとなれば、夫れ孟子の時、道行はれず、異端の説盛んなり。故に其の弁明を勤めて道を開きしのみ。故に、仁義を説きて仁義に遠し。卿等[1]、『孟子』を易しとし、『孟子』を好むは、己が心に合ふが故なり。卿等が学問するの心、仁義を行はんが為に学ぶにあらず。道を踏まんが為に修行せしにあらず。只、書物上の議論に勝ちさへすれば夫れにて学問の道は足れりとせり。議論達者にして人を言ひ伏すれば夫れにて儒者の勤めは立つと思へり。夫れ聖人の道、豈に然る物ならんや。聖人の道は、仁を勤むるにあり。五倫五常を行ふにあり。何ぞ弁を以て人に勝つを道とせんや。人を言ひ伏するを以て勤めとせんや。孟子は則ち是なり。此くのごときを聖人の道とする時は、甚だ難道なり。容易になし難し。故に『孟子』は難しといふなり。夫れ『中庸』は通常平易の道にして、一歩より二歩、三歩とゆくがごとく、近きより遠きに及び、卑きより高きに登り、小より大に至るの道にして、誠に行ひ易し。譬へば百石の身代の者、勤倹を勤め、五十石にて暮らし、五十石を譲りて、国益を勤むるは、誠に行ひ易し。愚夫、愚婦にも出来ざる事なし。此の道を行へば、学ばずして仁なり義なり忠なり孝なり、神の道、聖人の道、一挙にして行はるべし。至りて行ひ易き道なり。故に中庸といひしなり。予、人に教ふるに、『吾が道は分限を守るを以て本とし、分内を譲るを以て仁となす』と教ゆ。豈に中庸にして行ひ易き道にあらずや。」
翁曰はく、「予、文字上の事はしらずといへども、是を実地、正業に移して考ふる時は、『孟子』は難し。『中庸』は易し。いかんとなれば、夫れ孟子の時、道行はれず、異端の説盛んなり。故に其の弁明を勤めて道を開きしのみ。故に、仁義を説きて仁義に遠し。卿等[1]、『孟子』を易しとし、『孟子』を好むは、己が心に合ふが故なり。卿等が学問するの心、仁義を行はんが為に学ぶにあらず。道を踏まんが為に修行せしにあらず。只、書物上の議論に勝ちさへすれば夫れにて学問の道は足れりとせり。議論達者にして人を言ひ伏すれば夫れにて儒者の勤めは立つと思へり。夫れ聖人の道、豈に然る物ならんや。聖人の道は、仁を勤むるにあり。五倫五常を行ふにあり。何ぞ弁を以て人に勝つを道とせんや。人を言ひ伏するを以て勤めとせんや。孟子は則ち是なり。此くのごときを聖人の道とする時は、甚だ難道なり。容易になし難し。故に『孟子』は難しといふなり。夫れ『中庸』は通常平易の道にして、一歩より二歩、三歩とゆくがごとく、近きより遠きに及び、卑きより高きに登り、小より大に至るの道にして、誠に行ひ易し。譬へば百石の身代の者、勤倹を勤め、五十石にて暮らし、五十石を譲りて、国益を勤むるは、誠に行ひ易し。愚夫、愚婦にも出来ざる事なし。此の道を行へば、学ばずして仁なり義なり忠なり孝なり、神の道、聖人の道、一挙にして行はるべし。至りて行ひ易き道なり。故に中庸といひしなり。予、人に教ふるに、『吾が道は分限を守るを以て本とし、分内を譲るを以て仁となす』と教ゆ。豈に中庸にして行ひ易き道にあらずや。」
[1]
「卿等」は複数二人称。
『二宮尊徳全集』第36巻を底本とした。ただし、次の方針に基づき、本サイトの管理人が独自に修訂を施してある。◆漢文以外は、すべて横書きに改めた。◆旧字体は、新字体に改めた。◆仮名遣いは原則として旧仮名遣いのままとしたが、現代的な文語文法に基づき、適宜修正した。(例:飢へ→飢ゑ、全ふ→全う)◆送り仮名、句読点、括弧、改行は、現代的な感覚に即して大幅に改めた。(例:譬ば→譬へば、曰……→曰はく、「……。」) ◆振り仮名は、推測に基づき、適宜施した。◆助動詞および助詞は、仮名に開いた。(例:也→なり、如し→ごとし)◆「ゝ」や「〱」は原則として元の仮名に戻し、「〻」は削った。◆漢文には適宜訓点を補った。
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