『二宮翁夜話』第1巻 第20章
川久保民次郎と云ふ者あり…
原文
川久保民次郎と云ふ者あり。翁の親戚なれども、貧にして翁の僕[1]たり。国に帰らんとして暇を乞ふ。
翁曰はく、「夫れ空腹なる時、他にゆきて『一飯をたまはれ。予、庭をはかん』と云ふとも、決して一飯を振る舞ふ者あるべからず。空腹をこらへて、まづ庭をはかば、或いは一飯にありつく事あるべし。是れ己を捨て、人に随ふの道にして、百事行はれ難き時に立ち至るも、行はるべき道なり。我、若年、初めて家を持ちし時、一枚の鍬、損じたり。隣家に行きて『鍬をかしくれよ[2]』といふ。隣翁曰はく、『今、此の畑を耕し、菜を蒔かんとする処なり。蒔き終はらざれば貸し難し』といへり。我、家に帰るも別に為すべき業なし。『予、此の畑を耕して進ずべし』と云ひて耕し、『菜の種を出だされよ。序でに蒔きて進ぜん』と云ひて、耕し、且つ蒔きて後に鍬をかりし事あり。隣翁曰はく、『鍬に限らず、何にても差し支への事あらば、遠慮なく申されよ。必ず用達つべし』といへる事ありき。斯くのごとくすれば、百事差し支へなきものなり。汝、国に帰り、新たに一家を持たば、必ず此の心得あるべし。夫れ汝、未だ壮年なり。終夜いねざるも障りなかるべし。夜々、寝る暇を励し、勤めて、草鞋一足、或いは二足を作り、明日開拓場に持ち出だし、草鞋の切れ破れたる者に与へんに、受くる人、礼せずといへども、元寝る暇にて作りたるなれば其の分なり。礼を云ふ人あれば、夫だけの徳なり。又一銭、半銭を以て応ずる者あれば、是れ又夫だけの益なり。能く此の理を感銘し、連日おこたらずば、何ぞ志の貫かざる理あらんや。何事か成らざるの理あらんや。われ、幼少の時の勤め、此の外にあらず。肝に銘じて忘るべからず。又損料を出だして、差し支への物品を用弁するを甚だ損なりと云ふ人あれど、しからず。夫は事足る人の上の事なり。新たに一家を持つ時は百事差し支へあり。皆損料にて用弁すべし。世に損料ほど弁理[3]なる物はなし。且つ安き物はなし。決して損料を高き物、損なる物とおもふ事なかれ。」
翁曰はく、「夫れ空腹なる時、他にゆきて『一飯をたまはれ。予、庭をはかん』と云ふとも、決して一飯を振る舞ふ者あるべからず。空腹をこらへて、まづ庭をはかば、或いは一飯にありつく事あるべし。是れ己を捨て、人に随ふの道にして、百事行はれ難き時に立ち至るも、行はるべき道なり。我、若年、初めて家を持ちし時、一枚の鍬、損じたり。隣家に行きて『鍬をかしくれよ[2]』といふ。隣翁曰はく、『今、此の畑を耕し、菜を蒔かんとする処なり。蒔き終はらざれば貸し難し』といへり。我、家に帰るも別に為すべき業なし。『予、此の畑を耕して進ずべし』と云ひて耕し、『菜の種を出だされよ。序でに蒔きて進ぜん』と云ひて、耕し、且つ蒔きて後に鍬をかりし事あり。隣翁曰はく、『鍬に限らず、何にても差し支への事あらば、遠慮なく申されよ。必ず用達つべし』といへる事ありき。斯くのごとくすれば、百事差し支へなきものなり。汝、国に帰り、新たに一家を持たば、必ず此の心得あるべし。夫れ汝、未だ壮年なり。終夜いねざるも障りなかるべし。夜々、寝る暇を励し、勤めて、草鞋一足、或いは二足を作り、明日開拓場に持ち出だし、草鞋の切れ破れたる者に与へんに、受くる人、礼せずといへども、元寝る暇にて作りたるなれば其の分なり。礼を云ふ人あれば、夫だけの徳なり。又一銭、半銭を以て応ずる者あれば、是れ又夫だけの益なり。能く此の理を感銘し、連日おこたらずば、何ぞ志の貫かざる理あらんや。何事か成らざるの理あらんや。われ、幼少の時の勤め、此の外にあらず。肝に銘じて忘るべからず。又損料を出だして、差し支への物品を用弁するを甚だ損なりと云ふ人あれど、しからず。夫は事足る人の上の事なり。新たに一家を持つ時は百事差し支へあり。皆損料にて用弁すべし。世に損料ほど弁理[3]なる物はなし。且つ安き物はなし。決して損料を高き物、損なる物とおもふ事なかれ。」
[1]
「僕」とは「召使い」の意。
[2]
「かしくれよ」は「貸してくれ」の意。
[3]
底本は「弁」を「便」と小書きで訂している。
『二宮尊徳全集』第36巻を底本とした。ただし、次の方針に基づき、本サイトの管理人が独自に修訂を施してある。◆漢文以外は、すべて横書きに改めた。◆旧字体は、新字体に改めた。◆仮名遣いは原則として旧仮名遣いのままとしたが、現代的な文語文法に基づき、適宜修正した。(例:飢へ→飢ゑ、全ふ→全う)◆送り仮名、句読点、括弧、改行は、現代的な感覚に即して大幅に改めた。(例:譬ば→譬へば、曰……→曰はく、「……。」) ◆振り仮名は、推測に基づき、適宜施した。◆助動詞および助詞は、仮名に開いた。(例:也→なり、如し→ごとし)◆「ゝ」や「〱」は原則として元の仮名に戻し、「〻」は削った。◆漢文には適宜訓点を補った。
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