『二宮翁夜話』第1巻 第21章
年若きもの数名居れり…
原文
年若きもの数名居れり。翁、諭して曰はく、「世の中の人を見よ。一銭の柿を買ふにも、二銭の梨子を買ふにも、真頭の真直ぐなる瑕のなきを撰りて取るにあらずや。又茶碗を一つ買ふにも、色の好き、形の宜しきを撰り、撫でて見、鳴らして音を聞き、撰りに撰りてとるなり。世人、皆然り。柿や梨子は買ふといへども、悪しくば捨てて可なり。夫さへも此くのごとし。
然れば人に撰ばれて、聟となり、嫁となる者、或いは仕官して立身を願ふ者、己が身に瑕ありては人の取らぬは勿論の事。その瑕多き身を以て上に得られねば、『上に眼がない』などと、上を悪くいひ、人を咎むるは大いなる間違ひなり。みづからかへり見よ。必ずおのが身に瑕ある故なるべし。
夫れ人身の瑕とは何ぞ。譬へば、酒が好きだとか、酒の上が悪いとか、放蕩だとか、勝負事が好きだとか、惰弱だとか、無芸だとか、何か一つ二つの瑕あるべし。買ひ手のなき、勿論なり。是を、柿、梨子に譬ふれば、真頭が曲がりて渋さうに見ゆるに同じ。されば人の買はぬも無理ならず。能く勘考すべきなり、
古語に、『内に誠あれば、必ず外に顕はるる[1][2]』とあり。
瑕なくして真頭の真直ぐなる柿の売れぬ[3]と云ふ事、あるべからず。夫れ何ほど艸深き中にても、薯蕷があれば、人が直ちに見付けて捨ててはおかず。又泥深き水中に潜伏する鰻、鰌も、必ず人の見付けて捕まへる世の中なり。されば内に誠有りて外にあらはれぬ道理、あるべからず。此の道理を能く心得、身に瑕のなきやうに心がくべし。」
然れば人に撰ばれて、聟となり、嫁となる者、或いは仕官して立身を願ふ者、己が身に瑕ありては人の取らぬは勿論の事。その瑕多き身を以て上に得られねば、『上に眼がない』などと、上を悪くいひ、人を咎むるは大いなる間違ひなり。みづからかへり見よ。必ずおのが身に瑕ある故なるべし。
夫れ人身の瑕とは何ぞ。譬へば、酒が好きだとか、酒の上が悪いとか、放蕩だとか、勝負事が好きだとか、惰弱だとか、無芸だとか、何か一つ二つの瑕あるべし。買ひ手のなき、勿論なり。是を、柿、梨子に譬ふれば、真頭が曲がりて渋さうに見ゆるに同じ。されば人の買はぬも無理ならず。能く勘考すべきなり、
古語に、『内に誠あれば、必ず外に顕はるる[1][2]』とあり。
瑕なくして真頭の真直ぐなる柿の売れぬ[3]と云ふ事、あるべからず。夫れ何ほど艸深き中にても、薯蕷があれば、人が直ちに見付けて捨ててはおかず。又泥深き水中に潜伏する鰻、鰌も、必ず人の見付けて捕まへる世の中なり。されば内に誠有りて外にあらはれぬ道理、あるべからず。此の道理を能く心得、身に瑕のなきやうに心がくべし。」
[1]
「内に誠あれば、必ず外に顕はるる」は、『大学章句』伝六章の「誠於中、形於外」を踏まえた表現。
[2]
「顕はるる」は「顕はる」の意。
[3]
「売れぬ」は「売れず」の意。
『二宮尊徳全集』第36巻を底本とした。ただし、次の方針に基づき、本サイトの管理人が独自に修訂を施してある。◆漢文以外は、すべて横書きに改めた。◆旧字体は、新字体に改めた。◆仮名遣いは原則として旧仮名遣いのままとしたが、現代的な文語文法に基づき、適宜修正した。(例:飢へ→飢ゑ、全ふ→全う)◆送り仮名、句読点、括弧、改行は、現代的な感覚に即して大幅に改めた。(例:譬ば→譬へば、曰……→曰はく、「……。」) ◆振り仮名は、推測に基づき、適宜施した。◆助動詞および助詞は、仮名に開いた。(例:也→なり、如し→ごとし)◆「ゝ」や「〱」は原則として元の仮名に戻し、「〻」は削った。◆漢文には適宜訓点を補った。
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