『二宮翁夜話』第1巻 第23章
翁多田某に謂ひて曰はく…
原文
翁、多田某に謂ひて曰はく、「我、東照神君[1]の御遺訓と云ふ物を見しに、曰はく、『我、敵国に生まれて、只父祖の仇を報ぜん事の願ひのみなりき。祐誉が教へに依りて、国を安んじ民を救ふの天理なる事を知りてより、今日に至れり。子孫長く此の志を継ぐべし。若し相背くに於いては、我が子孫にあらず。民は是れ国の本なればなり』とあり。
然れば其の許[2]が遺言すべき処は、『我、過ちて、新金銀引替御用[3]を勤め、自然、増長して驕奢に流れ、御用の種金を遣ひ込み、大借に陥り、身代破滅に及ぶべき処、報徳の方法に因りて莫大の恩恵を受け、此くのごとく安穏に相続する事を得たり。此の報恩には、子孫代々、驕奢、安逸を厳に禁じ、節倹を尽くし、身代の半ばを推し譲り、世益を心掛け、貧を救ひ、村里を富ます事を勤むべし。若し此の遺言に背く者は、子孫たりといへども、子孫にあらざる故、速やかに放逐すべし。聟、嫁は、速やかに離縁すべし。我が家株、田畑は、本来、報徳法方の物なればなり』と子孫に遺言せば、神君の思し召しと同一にして、孝なり忠なり仁なり義なり、其の子孫、徳川氏の二代公、三代公のごとく、その遺言を守らば、其の功業、量るべからず。汝が家の繁昌、長久も、又限りあるべからず。能く能く思考せよ。」
然れば其の許[2]が遺言すべき処は、『我、過ちて、新金銀引替御用[3]を勤め、自然、増長して驕奢に流れ、御用の種金を遣ひ込み、大借に陥り、身代破滅に及ぶべき処、報徳の方法に因りて莫大の恩恵を受け、此くのごとく安穏に相続する事を得たり。此の報恩には、子孫代々、驕奢、安逸を厳に禁じ、節倹を尽くし、身代の半ばを推し譲り、世益を心掛け、貧を救ひ、村里を富ます事を勤むべし。若し此の遺言に背く者は、子孫たりといへども、子孫にあらざる故、速やかに放逐すべし。聟、嫁は、速やかに離縁すべし。我が家株、田畑は、本来、報徳法方の物なればなり』と子孫に遺言せば、神君の思し召しと同一にして、孝なり忠なり仁なり義なり、其の子孫、徳川氏の二代公、三代公のごとく、その遺言を守らば、其の功業、量るべからず。汝が家の繁昌、長久も、又限りあるべからず。能く能く思考せよ。」
[1]
「東照神君」とは「徳川家康」のこと。
[2]
「其の許」は二人称。
[3]
「新金銀引替御用」とは、旧硬貨を新硬貨に引き換える公務のこと。
『二宮尊徳全集』第36巻を底本とした。ただし、次の方針に基づき、本サイトの管理人が独自に修訂を施してある。◆漢文以外は、すべて横書きに改めた。◆旧字体は、新字体に改めた。◆仮名遣いは原則として旧仮名遣いのままとしたが、現代的な文語文法に基づき、適宜修正した。(例:飢へ→飢ゑ、全ふ→全う)◆送り仮名、句読点、括弧、改行は、現代的な感覚に即して大幅に改めた。(例:譬ば→譬へば、曰……→曰はく、「……。」) ◆振り仮名は、推測に基づき、適宜施した。◆助動詞および助詞は、仮名に開いた。(例:也→なり、如し→ごとし)◆「ゝ」や「〱」は原則として元の仮名に戻し、「〻」は削った。◆漢文には適宜訓点を補った。
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