『二宮翁夜話』第1巻 第25章
翁曰はく百事決定と注意とを…
原文
翁曰はく、「百事、決定と注意とを肝要とす。如何となれば、何事によらず、百事、決定と注意とによりて、事はなる物なり。小事たりといへども、決定する事なく、注意する事なければ、百事悉く破る。
夫れ一年は十二ヶ月なり。然して月々に米実法るにあらず、只初冬一ヶ月のみ米実法りて、十二月米を喰ふは、人々、しか決定して、しか注意するによる。是によりて是を見れば、二年に一度、三年に一度実法るとも、人々、其の通り決定して注意せば、決して差し支へあるべからず。凡そ物の不足は、皆覚悟せざる処に出づるなり。されば人々平日の暮らし方、『大凡、此の位の事にすれば、年末に至りて余るべし』とか『不足すべし』とか、しれざる事はなかるべし。是に心付かず、うかうかと暮らして、大晦日に至り、始めて驚くは、愚の至り、不注意の極みなり。ある飯焚き女が曰はく、『一日に一度づつ米櫃の米をかき平均して見る時は、米の俄かに不足すると云ふ事、決してなし』といへり。是れ飯焚き女のよき注意なり。此の米櫃をならして見るは、則ち一家の店卸しに同じ。能く能く決定して注意すべし。」
夫れ一年は十二ヶ月なり。然して月々に米実法るにあらず、只初冬一ヶ月のみ米実法りて、十二月米を喰ふは、人々、しか決定して、しか注意するによる。是によりて是を見れば、二年に一度、三年に一度実法るとも、人々、其の通り決定して注意せば、決して差し支へあるべからず。凡そ物の不足は、皆覚悟せざる処に出づるなり。されば人々平日の暮らし方、『大凡、此の位の事にすれば、年末に至りて余るべし』とか『不足すべし』とか、しれざる事はなかるべし。是に心付かず、うかうかと暮らして、大晦日に至り、始めて驚くは、愚の至り、不注意の極みなり。ある飯焚き女が曰はく、『一日に一度づつ米櫃の米をかき平均して見る時は、米の俄かに不足すると云ふ事、決してなし』といへり。是れ飯焚き女のよき注意なり。此の米櫃をならして見るは、則ち一家の店卸しに同じ。能く能く決定して注意すべし。」
『二宮尊徳全集』第36巻を底本とした。ただし、次の方針に基づき、本サイトの管理人が独自に修訂を施してある。◆漢文以外は、すべて横書きに改めた。◆旧字体は、新字体に改めた。◆仮名遣いは原則として旧仮名遣いのままとしたが、現代的な文語文法に基づき、適宜修正した。(例:飢へ→飢ゑ、全ふ→全う)◆送り仮名、句読点、括弧、改行は、現代的な感覚に即して大幅に改めた。(例:譬ば→譬へば、曰……→曰はく、「……。」) ◆振り仮名は、推測に基づき、適宜施した。◆助動詞および助詞は、仮名に開いた。(例:也→なり、如し→ごとし)◆「ゝ」や「〱」は原則として元の仮名に戻し、「〻」は削った。◆漢文には適宜訓点を補った。
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