『二宮翁夜話』第1巻 第33章
下館侯の宝蔵火災ありて…
原文
下館侯の宝蔵、火災ありて、重宝天国の剣、焼けたり。
官吏、城下の富商、中村某に謂ひて曰はく、「如斯焼けたりといへども、当家第一の宝物なり。能く研ぎて白鞘にし、蔵に納め置かんと評議せり。如何。」
中村某、焼けたる剣を見て曰はく、「尤もの論なれど無益なり。仮令此の剣、焼けずとも如此細し。何の用にか立たん。然る上に、如此焼けたるを今研ぎて何の用にかせん。此の儘にて仕舞ひ置くべし」と云へり。
翁、声を励して曰はく、「汝、大家の子孫に産まれ、祖先の余光に因りて格式を賜り、人の上に立ちて人に敬せらるる汝にして、右様の事を申すは大いなる過ちなり。汝が人に敬せらるるは、太平の恩沢なり。今は太平なり。何ぞ剣の用に立つと立たざるとを論ずる時ならんや。夫れ汝、自ら省り見よ、汝が身、用に立つ者と思ふか。汝はこの天国の焼剣と同じく、実は用に立つ者にあらず。只先祖の積徳と、家柄と、格式とに仍りて、用立つ者のごとくに見え、人にも敬せらるるなり。焼身にても、細身にても、重宝と尊むは太平の恩沢、此の剣の幸福なり。汝を中村氏と人々敬するは、是れ又、太平の恩徳と先祖の余蔭なり。用立つ、用立たざるを論ぜば、汝がごときは捨てて可なり。仮令用立たずとも、当家御先祖の重宝、古代の遺物、是を大切にするは、太平の今日、至当の理なり。我は此の剣の為に云ふにあらず。汝がために云ふなり。能く能く沈思せよ。
往時、水府公、寺社の梵鐘を取り上げて大砲に鋳替へたまひし事あり。予、此の時にも『御処置、悪しきにはあらねども、未だ太平なれば甚だ早し。太平には鐘や手水鉢を鋳て、社寺に納めて、太平を祈らすべし。事あらば速やかに取りて大砲となす。誰か異議を云はん。社寺ともに悦んで捧ぐべし。斯くして国は保つべきなり。若し敵を見て大砲を造る、所謂盗を捕へて縄を索ふがごとしと云はんか。然りといへども、尋常の敵を防ぐべき備へは今日足れり。其の敵の容易ならざるを見て我が領内の鐘を取りて大砲に鋳る、何ぞ遅からんや。此の時、日もなきほどならば、大砲ありといへども必ず防ぐ事あたはざるべし』と云ひし事ありき。何ぞ太平の時に、乱世のごとき論を出ださんや。
斯のごとく用立たざる焼身をも宝とす。況んや用立つべき剣に於いてをや。然らば自然、宜しき剣も出で来たらん。されば能く研ぎあげて白鞘にし、元のごとく袱紗に包み、二重の箱に納めて重宝とすべし。是れ汝に帯刀を許し、格式を与ふるに同じ。能く能く心得べし」と。
中村某、叩頭して謝す。
時、九月なり。翌朝、中村氏、発句を作りて或る人に示す。其の句、「じりじりと照りつけられて実法る秋」と。ある人、是を翁に呈す。翁、見て悦喜、限りなし。曰はく、「我、昨夜、中村を教戒す。定めて不快の念あらんか。怒気、内心に満たんかとひそかに案じたり。然れども、家柄と大家とに懼れ、おもねる者のみなれば、しらずしらず増長して、終に家を保つ事、覚束なしと思ひたれば、止むを得ず、厳に教戒せるなり。然るに怒気を貯へず、不快の念もなく、虚心平気に此の句を作る。其の器量、按外にして、大度見えたり。此の家の主人たるに恥ぢず。此の家の維持、疑ひなし。古語に『我を非として当たる者は、我が師なり[1]。』とあり。且つ『大禹は善言を拝す[2]。』ともあり。汝等も肝銘せよ。夫れ富家の主人は、何を言ひても『御尤も、御尤も』と錆び付く者のみにて、礪に出合ひて研ぎ磨かるる事なき故、慢心生ずるなり。譬へば、爰に正宗の刀ありといへども、研ぐ事なく、磨く事なく、錆び付く物とのみ一処におかば、忽ち腐れて紙も切れざるに至るべし。其のごとく、三味線引きや太鼓持ちなどとのみ交はり居て、『夫も御尤も、是も御尤」と、こび諂ふを悦んで明かし暮らし、争友一人のなきは、豈にあやふからざらんや。」
官吏、城下の富商、中村某に謂ひて曰はく、「如斯焼けたりといへども、当家第一の宝物なり。能く研ぎて白鞘にし、蔵に納め置かんと評議せり。如何。」
中村某、焼けたる剣を見て曰はく、「尤もの論なれど無益なり。仮令此の剣、焼けずとも如此細し。何の用にか立たん。然る上に、如此焼けたるを今研ぎて何の用にかせん。此の儘にて仕舞ひ置くべし」と云へり。
翁、声を励して曰はく、「汝、大家の子孫に産まれ、祖先の余光に因りて格式を賜り、人の上に立ちて人に敬せらるる汝にして、右様の事を申すは大いなる過ちなり。汝が人に敬せらるるは、太平の恩沢なり。今は太平なり。何ぞ剣の用に立つと立たざるとを論ずる時ならんや。夫れ汝、自ら省り見よ、汝が身、用に立つ者と思ふか。汝はこの天国の焼剣と同じく、実は用に立つ者にあらず。只先祖の積徳と、家柄と、格式とに仍りて、用立つ者のごとくに見え、人にも敬せらるるなり。焼身にても、細身にても、重宝と尊むは太平の恩沢、此の剣の幸福なり。汝を中村氏と人々敬するは、是れ又、太平の恩徳と先祖の余蔭なり。用立つ、用立たざるを論ぜば、汝がごときは捨てて可なり。仮令用立たずとも、当家御先祖の重宝、古代の遺物、是を大切にするは、太平の今日、至当の理なり。我は此の剣の為に云ふにあらず。汝がために云ふなり。能く能く沈思せよ。
往時、水府公、寺社の梵鐘を取り上げて大砲に鋳替へたまひし事あり。予、此の時にも『御処置、悪しきにはあらねども、未だ太平なれば甚だ早し。太平には鐘や手水鉢を鋳て、社寺に納めて、太平を祈らすべし。事あらば速やかに取りて大砲となす。誰か異議を云はん。社寺ともに悦んで捧ぐべし。斯くして国は保つべきなり。若し敵を見て大砲を造る、所謂盗を捕へて縄を索ふがごとしと云はんか。然りといへども、尋常の敵を防ぐべき備へは今日足れり。其の敵の容易ならざるを見て我が領内の鐘を取りて大砲に鋳る、何ぞ遅からんや。此の時、日もなきほどならば、大砲ありといへども必ず防ぐ事あたはざるべし』と云ひし事ありき。何ぞ太平の時に、乱世のごとき論を出ださんや。
斯のごとく用立たざる焼身をも宝とす。況んや用立つべき剣に於いてをや。然らば自然、宜しき剣も出で来たらん。されば能く研ぎあげて白鞘にし、元のごとく袱紗に包み、二重の箱に納めて重宝とすべし。是れ汝に帯刀を許し、格式を与ふるに同じ。能く能く心得べし」と。
中村某、叩頭して謝す。
時、九月なり。翌朝、中村氏、発句を作りて或る人に示す。其の句、「じりじりと照りつけられて実法る秋」と。ある人、是を翁に呈す。翁、見て悦喜、限りなし。曰はく、「我、昨夜、中村を教戒す。定めて不快の念あらんか。怒気、内心に満たんかとひそかに案じたり。然れども、家柄と大家とに懼れ、おもねる者のみなれば、しらずしらず増長して、終に家を保つ事、覚束なしと思ひたれば、止むを得ず、厳に教戒せるなり。然るに怒気を貯へず、不快の念もなく、虚心平気に此の句を作る。其の器量、按外にして、大度見えたり。此の家の主人たるに恥ぢず。此の家の維持、疑ひなし。古語に『我を非として当たる者は、我が師なり[1]。』とあり。且つ『大禹は善言を拝す[2]。』ともあり。汝等も肝銘せよ。夫れ富家の主人は、何を言ひても『御尤も、御尤も』と錆び付く者のみにて、礪に出合ひて研ぎ磨かるる事なき故、慢心生ずるなり。譬へば、爰に正宗の刀ありといへども、研ぐ事なく、磨く事なく、錆び付く物とのみ一処におかば、忽ち腐れて紙も切れざるに至るべし。其のごとく、三味線引きや太鼓持ちなどとのみ交はり居て、『夫も御尤も、是も御尤」と、こび諂ふを悦んで明かし暮らし、争友一人のなきは、豈にあやふからざらんや。」
[1]
『荀子』脩身篇の「非我而当者、吾師也」を踏まえた言葉。
[2]
『孟子』公孫丑篇の「禹聞善言則拝」を踏まえた言葉。
『二宮尊徳全集』第36巻を底本とした。ただし、次の方針に基づき、本サイトの管理人が独自に修訂を施してある。◆漢文以外は、すべて横書きに改めた。◆旧字体は、新字体に改めた。◆仮名遣いは原則として旧仮名遣いのままとしたが、現代的な文語文法に基づき、適宜修正した。(例:飢へ→飢ゑ、全ふ→全う)◆送り仮名、句読点、括弧、改行は、現代的な感覚に即して大幅に改めた。(例:譬ば→譬へば、曰……→曰はく、「……。」) ◆振り仮名は、推測に基づき、適宜施した。◆助動詞および助詞は、仮名に開いた。(例:也→なり、如し→ごとし)◆「ゝ」や「〱」は原則として元の仮名に戻し、「〻」は削った。◆漢文には適宜訓点を補った。
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