『二宮翁夜話』第1巻 第37章
浦賀の人飯高六蔵多弁の癖あり…
原文
浦賀の人、飯高六蔵、多弁の癖あり。暇を乞うて国に帰らんとす。
翁、諭して云はく、「汝、国に帰らば決して人に説く事を止めよ。人に説く事を止めて、おのれが心にて、己が心に異見せよ。己が心にて己が心に異見するは、柯を取りて柯を伐るよりも近し[1]。元、己が心なればなり。夫れ異見する心は汝が道心なり。異見せらるる心は、汝が人心なり。寝ても覚めても坐しても歩行いても、離るる事なき故、行住坐臥、油断なく異見すべし。若し己、酒を好まば、『多く飲む事を止めよ』と異見すべし。速やかに止めばよし。止めざる時は幾度も異見せよ。其の外、驕奢の念、起こる時も、安逸の欲、起こる時も、皆同じ。百事、此くのごとくみづから戒めば、是れ無上の工夫なり。此の工夫を積んで、己が身修まり、家斉ひなば、是れ己が心、己が心の異見を聞きしなり。此の時に至らば、人、汝が説を聞く者あるべし。己修まりて人に及ぶが故なり。己が心にて己が心を戒しめ、己聞かずば、必ず人に説く事なかれ。且つ汝、家に帰らば、商法に従事するならん。土地柄といひ、累代の家業といひ、至当なり。去りながら[2]、汝、売買をなすとも、必ず金を儲けんなどと思ふべからず。只商道の本意を勤めよ。商人たる者、商道の本意を忘るる時は、眼前は利を得るとも、詰まり滅亡を招くべし。能く商道の本意を守りて勉強せば、財宝は求めずして集まり、富栄、繁昌、量るべからず。必ず忘るる事なかれ。」
翁、諭して云はく、「汝、国に帰らば決して人に説く事を止めよ。人に説く事を止めて、おのれが心にて、己が心に異見せよ。己が心にて己が心に異見するは、柯を取りて柯を伐るよりも近し[1]。元、己が心なればなり。夫れ異見する心は汝が道心なり。異見せらるる心は、汝が人心なり。寝ても覚めても坐しても歩行いても、離るる事なき故、行住坐臥、油断なく異見すべし。若し己、酒を好まば、『多く飲む事を止めよ』と異見すべし。速やかに止めばよし。止めざる時は幾度も異見せよ。其の外、驕奢の念、起こる時も、安逸の欲、起こる時も、皆同じ。百事、此くのごとくみづから戒めば、是れ無上の工夫なり。此の工夫を積んで、己が身修まり、家斉ひなば、是れ己が心、己が心の異見を聞きしなり。此の時に至らば、人、汝が説を聞く者あるべし。己修まりて人に及ぶが故なり。己が心にて己が心を戒しめ、己聞かずば、必ず人に説く事なかれ。且つ汝、家に帰らば、商法に従事するならん。土地柄といひ、累代の家業といひ、至当なり。去りながら[2]、汝、売買をなすとも、必ず金を儲けんなどと思ふべからず。只商道の本意を勤めよ。商人たる者、商道の本意を忘るる時は、眼前は利を得るとも、詰まり滅亡を招くべし。能く商道の本意を守りて勉強せば、財宝は求めずして集まり、富栄、繁昌、量るべからず。必ず忘るる事なかれ。」
[1]
『中庸章句』第十三章の「詩云、『伐柯伐柯、則不遠。』執柯以伐柯、睨而視之、猶以爲遠。」を踏まえた言葉。『詩経』豳風篇より。
[2]
「去」の字は原文まま。「然りながら」の意。
『二宮尊徳全集』第36巻を底本とした。ただし、次の方針に基づき、本サイトの管理人が独自に修訂を施してある。◆漢文以外は、すべて横書きに改めた。◆旧字体は、新字体に改めた。◆仮名遣いは原則として旧仮名遣いのままとしたが、現代的な文語文法に基づき、適宜修正した。(例:飢へ→飢ゑ、全ふ→全う)◆送り仮名、句読点、括弧、改行は、現代的な感覚に即して大幅に改めた。(例:譬ば→譬へば、曰……→曰はく、「……。」) ◆振り仮名は、推測に基づき、適宜施した。◆助動詞および助詞は、仮名に開いた。(例:也→なり、如し→ごとし)◆「ゝ」や「〱」は原則として元の仮名に戻し、「〻」は削った。◆漢文には適宜訓点を補った。
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